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【今でしょ!note#3】 感謝と挨拶は社会資本形成の基本

おはようございます。林でございます。

先日、木下さんのVoicyを聞いていて、ほんまにそうよなぁ、と150%共感しかなかった「自然にありがとうを言おう」という趣旨の話があります。今日は、それに沿って自分の経験も交えながらご紹介します。



「ありがとう」を自然に言っていますか?

「ありがとう」「おはようございます」を自然に言っていますでしょうか?あるいは、自然に言える人間関係の中に自分を置けていますでしょうか?
そうなん!と驚いたのですが、誰かに食事をご馳走になったり、自分が何かしてもらった時に「ありがとう」の連絡をするべきかどうか論争があったみたいです。

例えば、「特別行きたくもない飲み会に行ったのに、何でわざわざありがとうを言わないとダメなのか」「別れ際にありがとうを言ったから、次の日改めて言わなくてよい」のような意見です。

木下さんもお話されてますが、「ありがとう」や「おはようございます」は、自身の見えざる資産形成のためにとても便利な言葉だと考えます。
ほぼ労力をかけずに相手に気持ちよく感じてもらい信頼感の第一歩を築けるという点で、ベネフィットしかない手段です。
処世術というと狡猾な感じに聞こえますが、生き抜いていくうえで挨拶や感謝と上手く付き合っていくこと自体はとても大事だと考えます。

事後の「ありがとう」連絡をする人は意外に少ない

私は、後述する大学の時の先輩の教えもあってか、誰かに何かをしてもらった時、事後に感謝を伝えることの気持ちよさとメリットをかなり感じており、挨拶と感謝の言葉を伝えることは、意識的にしっかりやろうとしています。

例えば、社内資格を取るために違う部署の先輩にアドバイスをもらうような場面があったのですが、アドバイスをもらった後や、合格の結果が出たあとの事後のお礼メールなどは、少しでも何らか事前に教えてもらった方には全員に送っていました。

その時に驚いたのは「こうやって丁寧に連絡をもらって嬉しい。色々な人をアドバイスしてきたが、連絡をくれたのは林さんだけです」と言われたことでした。
現在、自分も中堅社員として教える機会も増えてきましたが、確かに事後にお礼メールをくれたりする人はほとんどいないと気付きました。

競争戦略の基本は「差別化」ですが、何かをやってもらった事後に「ありがとう」と言う、テキストを書く、という超ローコストの行動をするだけで、意外とお礼を伝える人が少ないから「あいつはいいやつだ」と際立って感じてもらえるってプラスしかないですよね。
「ありがとう」と言われて「こいつはダメだ」とは基本ならないので、プラスにはなっても絶対にマイナスにならない。
とてもシンプルなことですが、自分はこれからも「ありがとう」と言う側に回りたいです。
もちろん、何事も適度というものがあるので、大袈裟に「ありがとう」を連発する必要はありません。息をするように、自然に言えるような人でありたいです。

「ありがとう」の効能

先に少し触れましたが、私が事後にお礼の連絡をするのは、学生の時に先輩から叩き込まれました。
学生時代に英語の弁論大会のようなイベントの全国大会で優勝したことがあるのですが、凡人の私が優勝できたのは、英語が上手かったからでも、頭の回転がよかったからでも、論理的思考が得意だったからでもありません。
これは、謙虚でも何でもなく、本当にそうで、その1年前の同じ大会では、何の結果も残せないポンコツ1号でした。

では、そのポンコツ1号がなぜ優勝できたのかというと、
「普段から何かを教えてもらった人に対して、愚直に挨拶と感謝を伝えていた→その道で有名だった人たちが可愛がってくれた→たくさん教えてくれるので、それが楽しくて自分でやり方を工夫した→それに対してまたアドバイスをくれた」の成長の上昇気流に乗っただけ、と分析しています。

仕事も同じで、多くの後輩社員を見てきましたが、やはり伸びる若手は、可愛がられる愛嬌と礼儀と素直さがある
協力会社の癖のある職人的な人に可愛がられ、たくさん教えてもらって、成長していく人を何人も見てきたし、それができない人はやはり伸び悩んでいる印象です。

そんな処世術的な考え方や、計算して生きたくないという気持ちはわからなくはないですが、難しく考えすぎでは?という意見です。
自分が何かの能力を身につけて、それを資本にして真にやりたいことができて、周囲への価値貢献のインパクトを大きくできるのであれば、難しく考えずに挨拶と感謝くらいしようよ、とのスタンスです。

感謝や挨拶すらできない大人

私が働きはじめて衝撃を受けたのが、朝オフィスに来て「おはようございます」も言わずに黙って自分の席に座る人が多かったことです。
また、「ありがとう」も言えない管理職・中堅以上の人間が一定数がいますが、「高圧的に振る舞うことで、部下に自分を誇示して言うことを聞かせられる」と思っているみたいです。

自分の世代が上がっていくに連れ、自分よりも年齢が若い人と仕事をする機会も増えますし、若い人から仕事をいただく機会も増えてきます。
感謝や挨拶ができない大人は、親や周囲の先輩が普段から言っていなくて、言わないのが普通という感覚のまま歳を重ねたのだと理解します。

木下さんの話の中で、「どんな綺麗事よりも、人間は感じが9割」とおっしゃっていますが、ほんまにそうだと思います。
普通に考えて、「この人面白いな、一緒にいて楽しいな」と思う人と仕事したいですし、「この人つまらないな」という人はできれば避けたいので、挨拶や感謝が言える・言えない、で仕事の増減に影響するのは当然なのかと。

発注側の立場こそ「ありがとう」を

「ありがとう」を言ってくれる発注者と、言ってくれない発注者を比べて、じぶんがどちらから受けた仕事を頑張れるか、と問われれば、それはもちろん言ってくれる人でしょう。

心理学でいう「返報性」で、自分が発注者側に立った時こそ、「いつもすみませんね。これやってくれてありがとう」と自然に言えることで、相手はそれに報いようという行動が取りやすくなります。
発注者側が、「お金を払ってるんだから、仕事させて当たり前だろう」と考えるのは違うと思います。

これは自分も強く意識しているところで、自分が発注者の立場の関係性では、自分ができずに相手ができることを素直に尊敬して、気持ちよく仕事してもらうことを心がけています。

だからこそ、私が受注者の立場において、上手く私の気持ちを乗せてくれるお客さんと出会うと「あぁこの人はさすがだな」と感じます。
過去に、タイでそれなりの地位にあるお客さんから、営業活動をした後に「Yuya, Great presentation ! You are competent !」とメールをいただいた後は、それはもうメロメロになってしまいました。
この人のためなら何でもやるぜ!っていう気になりました。発注側にとっては、受注側が気持ちよく仕事してもらって成果出してもらったほうが良いのは自明です。
言葉ひとつで、気持ちの持ちよう、仕事の成果は大きく変わります

「ありがとう」が自然に飛び交う環境に身を置こう

いろいろ話してきましたが、一番まずいのは、自然に「ありがとう」や「おはよう」も言えない環境に慣れてしまって、自分がそれに染まってしまうことです。

「隗より始めよ」で、まずは自分が始めることです。
相手に言うべき、と論じるよりも、まずは自分がやるところが出発地点です。
そして、普通に「ありがとう」が言える人たちが7割以上いる環境に身を置くことをオススメします。
冷静に振り返ってみて、もしご自身の今の環境がそうでないのであれば、早々に離脱を考える価値が十分あるのでは?と考えています。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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