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【今でしょ!note#46】 会社は何のために存在するのか?

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、世の中に数多ある「会社」の存在意義について、改めて考えさせられた一冊に基づき、「会社な何のために存在するのか?」というテーマでお話します。
経営コンサルタントとして数多くの企業、経営者とお付き合いしてきた方が書かれた本だけあって、本質的なものに迫る一冊でした。


フレームワークで情報を料理する「仕事」

経営コンサルタントが日々向き合っているのは、顧客たる会社であり経営者です。

ところが、世の中の多くのコンサルタントが小脇に抱えているのは、フレームワークや組織論、戦略論などの理屈で、現実の会社や事業をそれらの俎上に乗せてうまく料理してみせます。

これがあらゆる場所で起こっていて、多くの会社の経営課題や、事業戦略が「上手に」表現されていて、綺麗にそれらしくまとめて示すことが「仕事」だと捉えられているシーンも少なくないと感じています。

競争に打ち勝って成長するとか、業界No. 1になろう!という掛け声ばかりで、そのためのユニークな道筋を構想したものや、世に貢献する創造のビジョンと情熱を内包したものは稀有となっています。

今や、経営方針に掲げる事業分野の選別基準として、「利益率の高い事業」という尺度しか持たない「会社」さえ現れています。

概念としての「企業」はあっても、個性ある法人としての「会社」の匂いは全くないと説かれていますが、「利益率の高い事業」という尺度しか持たないというのは、会社を立ち上げた人やそこに集まる人の想いは、どこに行ってしまったんだろうと切に感じます。

会社は、本来人間らしいもの

生まれた子どもが後から戸籍制度に当てはめられるのと同様、会社はその誕生の担い手となった人間、それに尽くした人間、引き継いだ人間の意思と行動を体現しているという意味で、制度である以前に本源的に人間的営為そのものです。

本来、極めて人間的営為そのものである会社という実体を、競争に勝てないのなら存在する意味はないと考える競争的世界観の概念に重ね合わせることで、経営者も社員も、会社の利益を最大化するために貢献を要求される人間となり、成績次第でいつでも交代させられる人間に成り下がってしまいました。

会社は、自分たちの夢や志を体現するものでなく、逆に自分たちを会社の利益に奉仕する存在へと変容させてしまったのです。

何も知らない前途有望な若い人たちが、自ら事業に携わるよりも、競ってコンサル職になりたがる世の中というのは、なんとも異様な事態です。
日本でも、本当の優秀層は今や官僚や大企業などの道は選ばず、自分なりに感じている課題感を解決するための事業を自分で興したり、自分が共感する事業をすでに始めている学生時代からの先輩の会社に入ったりしています。

私もそうでしたが、新卒の就職活動の時には、色々な企業の採用試験を受けましたが、選ぶ基準は採用試験の過程などで出会う人のフィーリングが合うか、業界として伸びそうかどうか、給料や福利厚生などの処遇面といったように、働く場所として良さそうかどうか、という基準で選んでいる人が少なくないと感じています。

しかし、本来はそれぞれの会社が持つ企業理念や、事業内容に共感できるか、という基準のプライオリティがより上がるべきだし、その会社の構成員が自分の会社の存在意義を語れるのが普通、みたいな世の中にならないと、何ともつまらない会社人生を送ることになってしまわないか?と思ってしまいます。
(おそらく、そうではない状況が常態化しているので、何も感じていない人が多いのが現状なんだと思います)

経営者やリーダーに求められる役割

経営者やリーダーに求められる「利害を束ねる」役割というのは、単に平均値をとったり、最大公約数を見出して落とし所を見出すという利害調整のことではありません。
「この指止まれ」の主宰人物となり、行き先を力強く示すのが経営者やリーダーの役割です。

そこで経営者が欠いてはいけないものは、「常識的感覚」です。
自分たちは、何のために生まれたのか?何を目指しているのか?という存在理由を社外・社内に一貫して示し続けることが必要です。

成績が良くなるのは、いい会社になった後の結果に過ぎません。
筆者は、バブル崩壊以降の日本の会社では、経営者の常識的感覚が麻痺しているケースが散見されると言います。
経営者の脳内は、自らが志と信念を以て取り組む事業を儲かるようにすることではなく、何でもよいので、儲かる事業を選んで来て、取り組むことこそが経営なのだと思い込むことになってしまいました。

会社や組織の手綱は自分たちで握る

会社や組織の事業戦略策定を外部コンサルに投げてしまっているケースが現実には少なからずありますが、なぜ一番重要で面白いところを他人任せにしてしまうのだろうか?と不思議に感じます。
会社だけでなく、自治体の総合計画策定を外部コンサルに丸投げしてしまうケースも少なくないと聞きます。

人間に例えると、自分の進路やキャリア形成について、親や進路相談の先生に委ねてしまって、自分は他人が決めた道を歩いて行こうとしているのと同じ話です。

「コンサルを使うのは、専門家の意見を聞きたいから」と言う人が多いようですが、専門家という俗語ほど胡散臭いものはなく、コンサルが結果に責任を取ると言っても、結局は当事者にはなれない以上、そこに限界があるのは明らかです。

世間がどう言おうが、自らが善いと考えることを貫き、そこから益を導くこと、事業化することを拘り抜く。その時、どう考え行動するか、というのは、自らの信念のほかありません。
「今は、SDGsという時代の要請に乗っかったほうがトクだ」という思考で世の中の流れに乗るだけの会社は、地価が上がり続けるという風潮に乗り、土地開発に投資し続けた会社と本質的には何も変わりません。

会社の価値軸は、決して時代の流行り廃りや、他人の意見に委ねてはならず、あくまで法人格としての主観が尊重されるべきものです。どうしたら成功できるかではなく、どうなることを成功と考えるかという自己定義が出発点になるべき話です。

それなのに世の中の多くの経営者の意識は、自らを管理する意識から、外部に管理される側の意識へと変容してしまい、コンプラ・ガバナンス・DX・SDGsのような、世間が矢継ぎ早に繰り出す雑多な宿題に対して、どう対応すればよいかという問いばかりになってしまいました。
各社の中期経営計画も、多くは資本市場や投資家を意識して作らされた性格の濃いものばかりとなり、独自の価値観に裏付けされた筋金入りの志が示されているものはほとんど見られることがなくなりました。

時代やトレンドを追い続けるのは、それ自体が後手のオプションなので、どうしても追い求めることに疲れてしまいますし、オリジナリティが出なくなります。
色々な潮流の中、自分たちだけ置いていかれるわけにはいかない、と外部からの要請に応えることに必死になってしまいがちです。
しかし、本来自分が(自分たちが)ありたい姿、事業を通じて実現したいことを独自の工夫と考え方で追求することを忘れてはならない、と改めて気付かされた一冊でございました。

それでは、今日もよい1日お疲れさまでした。
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