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【今でしょ!note#5】 考えるとは、判断基準を決めること

おはようございます。林でございます。

私の社会課題認識の一つに、日本の労働生産性の低さがあります。
今年の9月に厚生労働省が公表した労働生産白書によると、下図の通り、日本の一人あたり労働生産性は1996年以降ほぼ横ばいで、相対的に他国から引き離されています。

2023年9月29日 日本経済新聞より抜粋

おそらくこれは地方の中小企業ほど顕著で、数年前に地元北陸の母親の職場を見学させてもらったことがあるのですが、ある繊維の染色作業について、前の工程で一度入力されたデータを、再度母親が担当する工程で再入力するという仕事をしていました。
その作業は10年近く変わっていないと言うことで、25年近くマクロで見た時の労働生産性が伸びていないという分析結果にも納得しました。

私は、労働生産性の低さがあらゆる社会課題の根底にあると考えています。
その話はまた別途したいと思いますが、今日は労働生産性が低い理由の一つ、「決められない大人が多すぎる」という話をします。



精鋭が集まって何も決まらない超重要プロジェクトの会議

ちきりんさんの本、「自分のアタマで考えよう」で紹介されていたエピソードです。

社内で目玉の超重要プロジェクトが社長直属組織として組成され、各部署から超優秀な人たちが集まりました。
そこで第一回会議が開催され、みんなであれこれ意見を言っていき「これも重要ですね、ではこれについては、次回詳細情報を調査して持ち寄りましょう」と次回宿題が決まり盛り上がって終わります。
第二回では、各自が新たな情報を持ち寄り、あるいは高度な分析結果を披露する人もいて、また盛り上がっていくのですが、「判断するのにここの情報が足りない。では次はここを調査して持ち寄りましょう」となる。
そんな会議が繰り返され、半年後に社長が進捗を聞くと、何も決まっていない状態であることを知る・・・

確かこんな話だったと思いますが、これに似た話って皆さんの近くでもありませんか?
ここで指摘されているのは、意思決定プロセスの問題です。
大切なのは「情報」そのものではなく、「考える」ということ。みんな情報を分析することに夢中で何も考えておらず、何の要素がこうなれば、こういう結論を下す、という議論ができていないことに尽きます。
迅速な判断が求められるビジネスの世界では、「こういう手段でないと自分たちは勝てない」という仮説を先に立てて、そのためにこれとこれとこれだけ事前に確認して判断する、くらいの筋道を立ててから情報を集めないと、やった感だけが満載の生産性の低い仕事がこの世に一つまた生まれてしまうだけです。

仕事の中で「考えている」時間を把握する

とても分かりやすい例が書かれていました。
「何となく関係性がありそうで、どこかで役に立ちそうに思える情報を集めている会社員は、何となく使えそうな食材や調味料を買い物カゴに入れ続ける主婦と同じ」
先にカレーを作る、と決めてから具材を集めれば、ジャガイモ、にんじん、お肉・・・というようにカレーを作るのに必要なものだけ集めてこれます。
一方で、これも使えるかもしれないな・・ということで、自分の頭で考えて、仮説なしに色んな情報を集めてしまう人は、スーパーを色々巡ってたくさん買ってきたが、鍋キューブ、シチューのもと、バナナ、セロリを目の前にして、さて何を作ればいいんだ?という状態になっているイメージです。

情報を集めたり、数値情報をグラフ化したりしている時間は、「やった感」は出ますが、考えることとは別の作業です。
考えるとは、インプットを自分なりに編集して付加価値を付けてアウトプットに変換することで、「考えました!」と言って、あなたの結論は何?と問われた際に明確に答えられないのであれば、それは考えていないということです。

私も、社内や外部向け説明資料を作る時間が多くありますが、より伝わりやすい表現は何か?と考えている時間は良いのですが、それを作っている時間(パワポのオブジェクトの位置を揃えたり、グラフを作ったり)は、考えていない時間だと認識して、極力考えていない時間を最小化しないと、と気付かされたところです。

打ち合わせも多いので、何がどうなれば結論が出るのか?と判断基準を明確にすることを常に意識するようにします。

選べない理由は、判断基準が多すぎるから

何かを選べない理由は、選択肢自体の数が多いのではなく、判断基準の数が多すぎるからです。大事なのは、目指す姿・ありたい姿を考え抜き、それを軸に優先したい判断基準の優先順位を付けることです。

国の政策も、増税か否か、子供手当か否か、農家の所得補償か否か、というように、個別政策の賛否について論じるのではなく、全体としてどのような国を目指すのか?というありたい姿を掲げて政権を争うのが健全だといえるでしょう。

北米のように高福祉国家を目指すのか、米国のように自己責任や市場原理を重視する国を目指すのか、製造業で生き残るのか、はたまた脱工業化で競争力のあるサービス産業への転換を図るのか。
全体の判断基準を持たないまま、目の前に出てきた政策について「この政策は必要か?」と個別検討していたら、全ての政策が大事だから予算付けるべき、という結論になってしまうのは至極当然なことです。

自分の判断基準を持とう

現実は複雑で判断基準を絞るのは難しい、という意見はその通りです。
でもだからこそ、その中で自分にとって大事なことは何か?を見極めることが必要です。
あれもこれも、あっちの利害もこっちの利害も・・・と全体でバランスを取ろうとしたら、何も決められません。何も動きません。
自分の判断基準を絞り込んだ人だけが、結果を得ることができるのです。優先度の高い基準を選び、その視点から数ある選択肢や事象を見ると、細部が省略され、本質的なポイントが浮かび上がってきます。

就職活動も家選びも同じですよね。
就職活動で言えば、ちきりんさんの「未来の働き方を考えよう」という書籍で新卒の時の判断基準なんてほぼアテにならないから、どこに就職しても同じの趣旨の話がされています。(この話はまた別途しますね)
10年ちょっと仕事をしてきて、私が感じている仕事選びの判断基準はこんな感じです。

  • やる気のあるお客さんとの仕事(制度対応などで、受け身でやらないといけないからやる、みたいなのは辛い)

  • 外の色々な立場との接点があり、異文化の中に身を置ける仕事(同質性、同調圧力みたいなのが苦手だから、そいうのを気にしなくてよい仕事)

  • 数ヶ月単位で、成果が見える仕事

上述した国策の話も、まずは個人レベルで考えてみましょう。
「自分はどういう状態になりたいのか」そのために優先することと捨てること何なのか?

特に、私と同世代の方々は、子育て・仕事・日々の暮らしでいっぱいいっぱいで、とても全部をダラダラやるみたいなことはできないと思いますから、
自分が価値があると感じることを選びとっていきましょう。
カレーを作るためにスーパーに来ている感覚で!

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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