【48】「知的能力の高さ」は「語彙の豊富さ」と大きな関係がある
今回はライターにとっての「語彙」の重要性と、ライターやるならちゃんと本を読みましょう、という話をします。
語彙力 ≒ 知的能力
語彙の話をすると、「辞書引いて調べればいいじゃない」とか
「知ってるか知ってないかだけ」とか、ちょっと小馬鹿にしたような態度を取る方がいます。
とんでもありません。
「言葉を知っているかどうか」は、非常に重要な話であり、実際、語彙力は知的能力と大きな関係があります。
例えば、ベネッセの調査では、「語彙力」が高い高校生は「思考力」等も高いとの示唆があります。
「語彙力」は学力や学び方の経験との関連が深いが、その「語彙力」を学力の要素として評価する手法は、大学の間で広がりつつある。
(http://between.shinken-ad.co.jp/hu/2017/10/goiryoku.html)
あるいは、小学生でも「できる子」は「できない子」に比べて、遥かに多くの語彙を有しているという事実が紹介されています。
できる子はできない子の4.6倍のボキャブラリーがあるー日本語の語彙を測る/増やす方法
「100マス計算」の生みの親である岸本裕史は「知的能力の中核は言語能力」と述べています。
知的能力の中核は言語能力です。俗に頭がいいとか、高い知能を持っていると言われているのは、言語を思考の道具として自由に駆使したり、多彩に概念を操作できる能力が優れているということなのです。この能力は、生まれてから後の言語環境のよしあしと学習によって決まってきます。
したがって、数学者の藤原正彦氏が学校教育に必要なのは「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」と述べているのも、当然なのです。
語彙は単なる「記憶」ではなく「概念」をどれだけ知っているかの指標
このような話をすると「学校の勉強」に限ってはそうかもしれないけど、頭の良さとは、ちょっと違うのでは?と思う方もいるでしょう。
ところが、そうではありません。
「語彙」こそが、知的能力の本質の一角を占めているのです。
なぜならば、言葉というのは、単なるコミュニケーションの道具ではなく、「思考の結晶」、つまり「概念」だからです。
つまり、「言葉を知っている」=「その概念を知っている」なのです。
ジョージア「世界は誰かの仕事でできている」や、タウンワーク「バイトするならタウンワーク」などのコピーで有名な、元電通の梅田悟司氏は、著書の中でこれを下のように表現しています。
言葉を生み出す過程には、1.内なる言葉で意見を育てる、2.外に向かう言葉に変換する、という二段階が存在する。
内なる言葉=「思考・コンセプト」であり、外に向かう言葉は、それを結晶化して表出したもの、と梅田氏は言います。
具体的な話をしましょう。
例えば「直角三角形」や「二等辺三角形」という言葉。
あまりにも一般的な言葉ですが、これらは、二千三百年前に、ユークリッドが「原論」の中で定義するまでは、登場したことがありませんでした。
つまり人類は「さんかくのような形をしたもの」は知っていましたが、「直角三角形」「二等辺三角形」などをうまく取り扱うことができなかったのです。
実際多くの人は「直角三角形」「二等辺三角形」などというコンセプトを、学校で教えられて、初めて獲得します。
しかし、ユークリッドは以下のように「直角三角形」や「二等辺三角形」などを正確に定義しました。
三辺形とは三つの,四辺形とは四つの,多辺形とは四つより多くの線分にかこまれた図形である.
三辺形のうち,等辺三角形とは三つの等しい辺をもつもの,二等辺三角形とは二つだけ等しい辺をもつもの,不等辺三角形とは三つの不等な辺をもつものである.
さらに三辺形のうち,直角三角形とは直角をもつもの,鈍角三角形とは鈍角をもつもの,鋭角三角形とは三つの鋭角をもつものである.
これにより、数学は飛躍的な前進を遂げました。
三角形の正確な概念化は、人間に科学を与えたと言ってもよいほどの功績です。
あるいは「色」に関する言葉。
本質的には、色は無限に存在し、その色どうしの境界もあいまいですので、色を伝えるのは非常に難しいことです。
例えば下の色。この色を人に伝えるのに、どのような表現を使うでしょうか?
黒っぽい黄色、という言葉を使う人もいれば、くすんだ緑、という方、オリーブの缶詰にはいってる実の色、という方もいるかも知れません。
しかしこの色、実は名前があります。「うぐいす色」というのです。
JIS規格でも「マンセル値で1GY 4.5/3.5」という定義があります。
さて、これを知ると上の色の取り扱いが簡単になります。
あなたは今「うぐいす色」というコンセプトを獲得しました。
これを知っているだけで、「うぐいす色を薄くした感じ」とか「うぐいす色に黄色みを強く」などの概念を取り扱うことができるようになります。
言葉は、単なる道具ではありません。
「思考の一部」を、人間が切り取ることによって生み出された「概念」そのものであるため、これを知ることは、人間の思考の幅を大きく広げるのです。
ソシュールの偉大な功績
実は、この「言葉は人間の思考を切り取ったもの」という考え方自体も、フェルディナン・ド・ソシュールという十九世紀の言語学者による発見です。
それだけを取ってみると、思考内容というのは、星雲のようなものだ。そこには何一つ輪郭の確かなものはない。あらかじめ定立された観念はない。言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。
「言語化される前には、存在しない」という斬新なコンセプトは、大きな影響を各所に与えました。
例えばみうらじゅん氏。
彼は「マイブーム」「ゆるキャラ」という言葉を作ったことで知られていますが、彼は博学なので、ソシュールのことを知っているのでしょう。
著作の中には次のように書かれています。
ここ数年ブームが続いている「ゆるキャラ」も、私が名づけてカテゴリー分けをするまでは、そもそも「ない」ものでした。(中略)
「ゆるキャラ」と名づけてみると、さもそんな世界があるように見えてきました。
統一性のない各地のマスコットが、その名のもとにひとつのジャンルとなり、先に述べた哀愁、所在なさ、トゥーマッチ感、郷土愛も併せて表現することができたのです。
あるいはアップルの「iMac」の命名者であるケン・シーガル氏は「i」という文字が、アップルの製品であることの印だ、と述べています。
「i」はアップルの家庭用デバイスである印で、その製品や製品カテゴリを表す語の前につく。アップルの主要製品のネーミング構造は、現在の顧客と潜在顧客にわかりやすい簡単なものだ。そして、人々はアップルの製品名を言えばいつでも、それを作っているのがアップルだとわかるのだ。これは信じられないほど強力な概念で、究極のシンプルなやり方だ。しかし、製品名においてこれだけのブランドパワーを獲得した企業はほとんどない。
これも一種の「概念の発明」であることは疑いようもないでしょう。
「物書き」の仕事のクオリティは語彙に左右される
つまり文字という手段を用いて、多彩な概念を取り扱う「物書き」の仕事のクオリティは、語彙に相当、左右されます。
したがって、物書きは「ヤバい」「うまい」「すごい」などの、解像度の低い言葉を軽々しくつかってはなりません。
むしろ、面白い記事を書こうとすれば
「この考え方を適切に表現できる言葉はないか」
「似た概念の言葉はないか」
と、言葉に気を遣いすぎるくらいで丁度良いのです。
村上春樹の小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」にはこんな一節が出てきます。
あるピアノのレコードを聴いているとき、それが以前に何度か耳にした曲であることに、つくるは気づいた。
題名は知らない。作曲者も知らない。でも静かな哀切に満ちた音楽だ。冒頭に単音で弾かれるゆっくりとした印象的なテーマ。その穏やかな変奏。
つくるは読んでいた本のページから目を上げ、これは何という曲なのかと灰田に尋ねた。
「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年』という曲集の第一年、スイスの巻に入っています」
「『ル・マル・デュ……』?」
「LeMalduPaysフランス語です。一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で使われますが、もっと詳しく言えば、『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』。正確に翻訳するのはむずかしい言葉です」
これは、村上春樹の偉大さを感じる一節です。
ホームシックでも、メランコリーでも、郷愁でも望郷でもない。
「ル・マル・デュ・ペイ」という言葉と、その概念を知っているからこそ、このような文章がかけるのです。
なお、個人的には、ライターの腕は、語彙力調査である程度判別可能ではないかとも思っています。
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