【34】ライターが「説教臭い文章」を書かないために留意しなければならないのは何か。
皆の興味があるテーマで、言っていることは正しく、もっともらしいのになぜかweb上では「読まれない」記事がある。
その一つの原因として大きいのは「説教臭さ」だ。
具体的に言う。
例えば、説教臭い記事を掲載しているメディアの一つは新聞だ。
下の「社説」をお読みいただくとわかるように、全編にわたって
「説教臭さ」が漂う。
(社説)感染症と世界 「鎖国」は解にはならぬ
国境を越える感染症問題に、国々がばらばらに取り組んでも限界がある。世界的な「鎖国」の風潮を改め、結束する理性を取り戻さねばならない。
これについては、内田樹氏の昔の論考が、非常に的を射ている。
教化的ということについて
母親の家は朝日新聞である。ふだんは毎日新聞なので、その違いに驚く。
朝日新聞には強い「指南志向」がある。
メディアが国民に進むべき道筋を提示するのはその本務であるから、異とするには当たらないが、三日ほど読んでいるうちに、だんだん腹が立って来た。
「無理でしょ、それは」というつぶやきがもれる。
今朝の新聞の一面は「できる子伸ばせ」という記事で、科学五輪のような「世界レベルへ選抜合宿」している「できる子」たちの様子が報告されていた。
いったいなぜこのような記事が一面トップに置かれるのか。
その理由については何も書かれていない。
国産のトップアスリートやトップアーティストやトップスカラーを大々的に顕彰することは国民全体の士気を鼓舞することになるという信憑がおそらく定着しているせいだろう。
けれども、ジャーナリスト諸君はその「チアーアップされる感じ」をご自身で実感されているのであろうか。
私はされない。
世界的な活躍をしている同胞の姿は「たまに見る」と「よし、オレもがんばらねば」という気分になることが私にもある。
でも、そのような鼓舞的な効果があるのは、飽くまで「たまに見る」からである。
そんなものをのべつ見せられて、「ほれ、こんなに頑張ってる人もいるんだぞ」と言われると、私はしだいに「うっせーな」という剣呑な気分になってくる。
説教臭さの強い文章を読むと、まさに「うっせーな」という気持ちになる。
もちろん記事をシェアすることもない。
もちろん、新聞に限らない。
webメディアでも「説教臭い記事」は、頻繁に見うけられる。
社会的地位があり、専門性も高い人々が、説教臭い文章を書く。
例えば、弁護士や医師、大学の先生。
彼らは驚くほど「説教臭い記事」を書き、炎上させておきながら、なぜそれが炎上したのかわからず、記事をあわてて取り下げる、という行為を私は幾度も目にした。
また「駆け出しのライター」であっても、説教臭い文章を書く人がいる。
一生懸命調べて記事を書いているのに、読後感がよくない。
「なんでこの人はこんなに説教臭いんだろう?」と思ってしまう。
「元雑誌の編集でした」という方が、説教臭い文章を書く。
それを指摘すると、逆に怒り出してしまう、なんてこともよくある。
「上から目線だから説教臭いのでは?」という方もいるかも知れない。
が、必ずしも「上から目線」=「説教臭い」ではない。
例えば、日経ビジネスでコラムニストをしている小田嶋隆氏のコラムは、
「上から目線」でありつつも、決して説教臭くはない。
うまく納得させられてしまうのだ。
例えば2016年のコラム「蓮舫議員は別に好きじゃないが」をお読みいただきたい。
バカな記事に引っ張られてバカな話をしてしまった。
ただ、心配なのは、バカな人たちが筋違いな言いがかりをつけているに過ぎないにもかかわらず、その愚かな彼らの陋劣な言いがかりが成功しつつあるように見えることだ。
もちろん、バカないいがかりをつけている人たちは、自分のバカさを世界に向けて宣伝しているだけの話なのだからして、たいしたことにはならない。放置しておけばよろしい。
が、残念なことに、民進党の面々が、このバカないいがかりにまんまとひっかかっている。
これは、本当に残念な展開だ。
思いっきり「上から目線」の文章であるにも関わらず、この文章からは「説教臭さ」は漂ってこない。
同じようなことを書いておきながら「説教臭い」文章を書く人と、そうでない人がいる。
その差は、一体何なのだろうか?
「説教臭さ」の根源はなにか
「説教臭さ」の原因は明らかで、しかも簡単に直せる。
実は……
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