【52】記事を書くときに「やってはいけない」ときめている22項目のリスト。
どうせ記事を書くなら「読まれたい」と思うのが人情だし、私も全くもって同感だ。
だが前にも書いたように、現実的には「なぜ読まれたのか」を正確に突き止めるのは難しい。
だから「やってはいけないこと」のリストが重要になる。
「成功法則」よりも「失敗法則」が正しい
本質的に「記事」は「商品」と同様で、売れるか売れないかは、かなり環境に左右されるからだ。もちろん、運もある。
だから、どんな人であっても
「たまたまバズった。理由はわからない」
はかならずある。
TwitterやTikTokで、フォロワーが100名もいないようなアカウントでも、「スーパーバズ」を起こすことは可能だし、何万ものフォロワーを抱えたアカウントであっても、「鳴かず飛ばず」という投稿もある。
これは一種の複雑系で、その差を完全に明確にすることは無理だ。
とはいえ、手がかりがまったくないわけではない。
例えば以前、下のような記事を書いた。
【1】インターネットで読まれる記事と、読まれない記事の決定的なちがい
上の記事の結論は「多くの人は、自分に関連がある記事しか読まないから、「多くの人の共通の話題」にフォーカスして書くことが重要ですよ」と言っている。
だが、「そしたら必ず読まれるのか」と言われたら、申し訳ないがそれは言い切れない。
多くの人に関連があっても、読まれていない記事は沢山ある。
例えば「給料が少ないと思った」というのは、多くの人の共通の話題と言えるが、それを取り上げるだけでは、読まれる記事にはならない。
しかし、だからといって【1】の悪い例に上げたように、「多くの人の共通の話題」を外してしまえば、読まれないことは確実にわかる。
結局の所、「やったら成功すること」は、断定できないが「やってしまうとダメなこと」は断定できる。
だから物書きは、たくさん書かねばならない。
書いて失敗する中で、「してはいけないこと」を少しずつ学ぶために。
逆に言えば、バズるものを書きたいなら、「○○すると読まれない」を蓄積することで、少しずつ成功の確率を上げていくことが王道となる。
これを「ブラック・スワン」で知られるナシーム・ニコラス・タレブは「否定の道」と名付けている。
「否定の道」とは、何が正しいかよりも何が間違っているかのほうが明瞭であるという原則。言い換えれば、知識は引き算によって膨らんでいくという原則。また、何がおかしいのかを理解するほうがその解決策を見つけるよりも易しいともいえる。
タレブの「何が正しいかよりも何が間違っているかのほうが明瞭である」こそ、真に慧眼だと言える。
「たくさん書け」は間違っているわけではない
だから、私も基本的には「”やってはいけない”とわかっていることを、やらないようにする」執筆のスタイルを採用している。
成功の鍵はわからずとも、失敗の道は見える。
したがって、少し前に念仏のようにいわれた
「たくさん書け」
というアドバイスは、完全に間違っているわけではない。
試行回数が多くなれば、それだけ「やってはいけないこと」を数多く知ることができるからだ。
ただし、もちろん漫然と書いてもダメだ。
なぜならそこには、「反省」と「改善」がない。
執筆 ⇛ 反省(これはやっちゃいけなかった) ⇛ 改善(やっちゃいけないことをやらない) ⇛ 執筆
のサイクルを回すことこそ、読まれる記事を書くための基礎的な仕事である。
「やってはいけないこと」のリスト
だから「やってはいけないこと」のリストは、役に立つ。
同じ間違いを繰り返さずに済むからだ。
以下は私が記事を書く上で、「やってはいけない」と認識していることのリストだ。
【記事の内容について】
・経験していない/取材していないことを書いてはいけない。
自分自身の経験と結びつかないことを書くと、どうしての記事に深みが足りなくなる。
読者はそれに敏感で「あ、これは想像で書いてるな」とすぐに分かる。
経験していないことは書けないし、取材していないことはかけない。
書きたいならまず、自分自身で試したり、1次情報をあたってから。
・主張してはいけない。
このマガジンで何度も書いているが、初心者がやりがちなのは「主張することが大事」だと思うことだ。
だが、それは間違っていて、読者はそれほど著者の主張には興味がない。
だから「思う」「であるべき」「すべき」などの、主観は、極力書かない。
これは、読者が「著者」に興味がなく、「自分」に興味があるからだ。
主観が中心の記事は押し付けがましく「すでに著者を知っている人」にしか響かない。
したがって、記事は「事実を報じる」ことを中心に記述し、主張の分量は少なく。
極力、意見形成は読者に委ねること。
・「発見」の要素がない記事を書いてはいけない。
記事は、何かしら「発見」の要素が入ったときに、ニュース、あるいはエンタテインメントとして成立する。
「思い込み」「常識」「当然とされてきたこと」に対して、切り込めば切り込むほど、記事としての価値は高い。
むしろ無難な記事になりがちな「共感」ではなく「発見」を中心に書いたほうが、読まれやすい。
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