【44】「書くことがない」を解決する
あるライターの方から「書くことがない。どうすればよいか」という相談があった。
ただ、推測するに「書くことがない」はおそらく「書けることが皆無」と言っているわけではないだろう。実際、「日記のようなもので良いから」と割り切れば、何でも書ける。
実際、小学生ですら、「昨日あったことを順番に書いて」と言ったら、書けるのだ。
だから「書くことがない」という方が悩んでいるのは、実際には
「アクセスを集めたいが何を書けばよいかわからない」
という悩みではないだろうか。
以前に書いた【39】「何を書けば読まれるのか」を解き明かす。の続きの話として、本記事は詳細に「書くことがない」について取り上げる。
まず「書くことがない」については、私自身もBooks&Appsを始めた当時、不安だったことを覚えている。
前にも書いたが、Books&Apps(ブックスアンドアップス)のタイトルは「本とアプリ」を示している。
これは、「本」と「アプリ」のレビューであれば、テーマが次々提供されるだろうから、ネタに困らないだろうという思惑があったからだ。
しかし、実際には1ヶ月で、書くことが尽き、しかも全く読まれないこともわかった。
そもそも本のレビューは、それほどの需要がない。
「本を読む人」自体が少ないし、「書評」を読む人は更に少数だ。
実際には「Amazonのレビューで十分」と考える人も多いだろう。
アプリにしても日常で本当に深く使うアプリは、高々数種類。
深く使い込んだ知見を日々発信するのは不可能だ。
そんな経験を経て、現在では「ブログ」にせよ「オウンドメディア」にせよ、記事を制作する上で最も重要なのはまちがいなく「文章術」ではなく中身、とくに「テーマ設定」である、と私は確信した。
ところが、この「テーマ設定」のスキルの重要性を、当時の私は認識しておらず、ライターの方とすれ違うこともあった。
例えば、Books&Appsは書き手の方へ「◯◯について書いてほしい」と言わない。
要は「何を書いてもいいですよ」と申し上げている。
だからこんな圧倒的にマニアックな記事ができる。
「物凄いリソースを振られていて恐ろしく深いのにクリアする上では本当に一切手出し不要という、聖剣伝説LOMの武具作成システムについて全人類に語り継ぎたい
マニアックな記事なので、「読者が戸惑うのでは?」と心配する方もいるだろう。
実際、寄せられたコメントのなかには以下のようなものも。
書き手の「しんざきさん」は、「勝手に書いてください」というやり方と相性が良いようで、本当に勝手に書いてくる。
だから、私もこのやり方で良い、と思っていた。
しかし、予想外だったのは、少なくないライターの方々から
「何を書いても良い、と言われると困ります」という回答があったことだ。というか、そう言う人のほうが多い。
私の考え方は完全に、異端だった。
例えば、Books&Appsのライターの一人に高須賀さんという方がいるが、その方が、私とのやり取りの記録をブログにしている。
その中で高須賀さんの知り合いのライター全員が「何を書いても良い」というメディアはヤバいと言っていたそうだ。
脅威のウェブメディア、Books&Appsについて
だいぶ脚色を加えて、実際に合うまでに行われたメールでのやり取りを書くとこうなる。
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安達さん「高須賀さん。うちで原稿書きませんか?」
高須賀「どういうのをご所望ですか?」
安達さん「あ、うち自由なんで。特定個人を名指して攻撃しない記事なら、何でもオッケーです」
高須賀「はぁ!?なんでもいいんですか?」
安達さん「なんでもいいです。ていうか高須賀さんが自分で決めてください。原稿料もそっちで決めていいです。できる限り善処しますから。あと締め切りとかも全くないんで。書きたい時に書いて、書き終わったら好きなだけ送ってください。基本全部採用しますから」
高須賀「はぁ!?!?」
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どうです?やばいでしょ。ちなみにこの話を知り合いのライターに相談したら、全員が全員絶対そこ絶対ヤバイって、というアドバイスを僕にくれたことをコッソリ報告しておきます(実際は大変仕事しやすい素晴らしい環境です)
「ライター」はテーマさえあれば、そこそこまとまった文章を作り上げてくる。
しかし、「テーマを設定することから」となると、これを嫌がる人も多い。
「何を書いても良い」というと、逆に書けなくなってしまうのだ。
余談だが、そうしてあれこれお声がけした結果、結局、私が「決定的に違う」と知ったのは「ブロガー」と「ライター」のちがいだ。
ブロガーは「何書いてもいいですよ」と申し上げると喜ぶ。
実際、私も「ブロガー」に近いので、メディア側から「何を書いてもいいですよ」と言われるのは、もう絶対に嬉しい。
格段にアクセスを稼ぎやすくなるし、好きなことを書けて大変結構である。
そして、他のブロガーさんも同様のことを考えているようで、これについてはシロクマ先生が、適切な表現をしている。
私がBooks&Appsに参加することになったいきさつ
安達さん曰く、*1
「日本にはいろいろなウェブメディアがあるけれども、ライター然とした記事を並べたものが中心です。けれども私は、ブロガーの、ブロガーとしての面白さやカラーを汲み取れるような、そういう雑誌みたいなメディアを作ってみたい。だから、私が面白いと思ったブロガーの人に、参加をお誘いしているんです。」
ブロガーとしての面白さやカラーを汲み取れるようなメディアだって!!
ブログ大好き人間な私にとって、これは殺し文句である。だが、ひとことでブロガーと言っても、ブロガーにはいろんな種類がいる。安達さんは、どういったブロガーを集めたいのか?
「シロクマさんのところ以外だと、たとえば『不倒城』さんとか『いつか電池が切れるまで』さんとか。あと、“コンビニ店長”がブログを続けていたなら、是非声をかけたかったのですが。」
うおおぉおおお! 安達さんは“そういうブログ”が好きなのか!
その後しばらく、ブログ談義と個人ニュースサイト談義に花が咲いて、安達さんのブログの好みと私のブログの好みがかなり重なっていることがわかった。安達さんはブログの書き手だが、ブログの読み手でもあった。はてな村の歴史についても、議論が暖まった。
これで、話は決まった。私はBooks&Appsに参加することになり、ライター然とした文章ではなく、ブロガー然とした文章を月に1~2回程度、お届けしてみることとなった。私にとって初めての“連載”だ。私は“連載”をかなり恐れていた。人様にさしあげる文章を、そんなに書き続ける自信が無かったからだ。しかし、初めての“連載”がブログ然としたメディアなのは、とても運の良いことだと思った。
「ブロガー」は「興味のあること」に関しては、圧倒的に面白いテーマを出す。むしろこちらでテーマ設定をすると、マイナスに働くことも多い。
だがライターさんは多くの場合逆だ。
ライターさんたちは「何書いてもいいですよ」と言う注文は困る、と言うのだ。
これは実に大きな発見だった。
つまり冒頭のライターさんの
「書くことがない」
は、記事のテーマ設定を、全くのゼロからやったことがない人にとっては、必然の悩みだったのである。
*
だが、紙媒体からwebの時代になり、「書くことがない」は徐々に書き手としては致命的な状況になりつつある。
webメディアで連載するにも、SNSでフォロワーを集めるにも、企業メディアを運営するにも、「下請けではなく、自分自身が主体となって発信する」ためには、テーマ設定をしなければならないからだ。
これは「研究室」とよく似ている。
企業の研究所などには、「研究者」と「テクニシャン」という方々がおり、テクニシャンは研究者が指示する実験や作業を行うが、自身で研究のテーマを設定することはない。
したがって、もちろんテクニシャンは重要な存在ではあるが、社会的地位や収入は研究者のほうが高い。
なぜなら「研究のテーマ設定」の権限を、研究者が持っているからだ。
「ライター」も、同様だろう。
メディア側にテーマ設定を任せきりにしていると、いつまでも「下請け」の地位を免れない。
自分自身でテーマ設定ができるようになることが、収入と社会的地位を高める方法であることは明らかだ。
では「テーマ設定」の本質はどこにあるのだろうか?
先行研究を調査する
私は大学の研究室にいる時、先輩から
「論文は、テーマを見つけたら、半分おしまいだよ」と教わった。
「おお、半分も終わりなのか!」
と喜んだが、我に返ると、果たして何から手を付けて良いのか全くわからない。
私は先輩に
「どうすればテーマを見つけることができるのですか」
と尋ねた。
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