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挫折 #2(前編)

前回、私のサッカー人生での1回目の挫折について振り返りました。前回の続きとして今回は、2回目に経験した1回目よりもさらに深く大きかった挫折について振り返っていきたいと思います。
最後まで読んでくださると幸いです。


私の2回目の挫折。高1の終わりかけの頃でした。
3年生が引退し、新チームの強化期間中。
私は怪我をしました。
「両恥骨疲労骨折」
1年次から3年生の試合に出させてもらい、インターハイで全国優勝、優秀選手を経験させてもらいました。当時からコーナーキックのキッカーを任されていた私でしたが、新チームになりフリーキックのキッカーも任されることになり、直接フリーキックの制度を磨いて蹴り込んでいました。私の母校では、中村俊輔元選手や藤本淳吾元選手、小川航基選手、西川潤選手などJリーグや世界で活躍するプロサッカー選手が多く輩出されていました。その中でも特に「レフティー」の選手が多く私も左利きなので大いに期待をしてもらっていました。
当時、藤本淳吾元選手が次の移籍先が決まるまでの期間で、私たちの練習に混ざってくださる機会が多くありました。また、練習後に自主練として淳吾さんから直伝のフリーキック練習に付き合っていただくこともありました。自身の中でなんとなくコツを掴み始め軌道よく蹴れる感覚がわかり始めた頃。左足の内転筋に違和感を覚えるようになりました。それでも私は毎日蹴り続けていました。すると、日に日に痛みは増していくと共に痛みが恥骨の方へと上がっていきました。左側だけでなく両恥骨の痛みに悩むようになりました。シーズン前だったこともあり病院で受診することになりました。診断結果は、「両恥骨疲労骨折」全治約2ヶ月と言い渡されました。もう少し早く診てもらえばよかった。でもこの怪我の時期をプラスに変えて体を鍛えよう。複雑な気持ちの中リハビリ生活が始まりました。しかしその時、世の中は新型コロナウイルスによって大混乱に陥っていました。今までに聞いたことのなかった「緊急事態宣言」によって定期試験どころか学校や部活までもがなくなり、当たり前だった日常が奪われてしまいました。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。後編に続きます。

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