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不登校は不幸なら、学校は幸福なのか?

こんにちは、ゆをです。
僕は中学校で不登校だった事は自己紹介の記事に書いたのですが

不登校に関して、よく言われる言葉があります。

「不登校は不幸か?」
「不登校は不幸じゃない」

不幸か、不幸じゃないか?と問われることがあるのですが、
そもそも「幸福」とか「不幸」って
誰が決めることでしょうか?

また、これといった明確な基準もありません。

今回は不登校は不幸?学校に行くのが幸福?というテーマで
書いてみようと思います。

不登校は不幸じゃない

まず、初めに言いたいのは
不登校は、不幸なんかじゃありません。
これだけは断言しておきたいです。

不登校は、学校などで辛いことがあってなった状態。
なので、少なくとも辛い状況(学校に行く)を続けるよりは
断然良い選択です。

仮に学校に行き続けたら、それこそ不幸になる確率のほうが高いと思います。
それなら、少しでも楽な決断をする方いいでしょう。

どの時期に「不幸か?」と考えるか

よく考えてみてほしいのですが、幸福がずっと続く人生って
存在するでしょうか。
ほとんどの人は、山があったり谷があったり
そんな人生を歩んでいると思います。

そう考えると、不登校になった時点で
「不幸だ」
と決めつけるのは、違うのではないでしょうか。

確かに不登校になった当初は、辛いでしょう。
しかし、不登校になってもそれから幸せな人生を歩むことは
絶対に可能です。
もちろん、一般的な道とは違う方を選ぶので
一時的には物凄く大変です。
苦労することもあります。

ですが、「学校に行かなかった」という選択をしたこと。
不登校の時期に悩んだこと。
将来どうすればいいのか考えたこと。

すべて、貴重な経験になります。

なので、不登校になった時点はどちらかというと不幸かもしれませんが
いずれは幸福になることも、十分可能です。

学校に行くことが幸福か?

仮に不登校が不幸なら、学校に行くことが幸福という対になります。
果たして学校に行くことが、幸福でしょうか?

結論は、人それぞれです。

部活動を頑張ったり、特に大きな悩み学校でなければ
幸福といえます。
しかし、学校で悩み事が多かったり
辛いことばかりなら
それは幸福なことでしょうか。

違うと僕は思います。

幸福でなければ、学校に行くなと言うわけではありませんが
もう学校が嫌で苦痛、行きたくないと感じるなら
行かないという選択をするのも大正解だと思います。

学校というシステムに問題あり

日本の学校のシステムは、戦後からほとんど変わってないともいえます。
ここ数年でちょっとオンライン授業が普及したぐらいでしょう。
ですが、授業スタイルやクラスなどのシステムは
昭和とほぼ一緒です。

令和の多様性だったり、AIが普及している時代に
果たして昭和のスタイルを貫き通していいのでしょうか。

そんな昭和と同じ教育を受けている方が、ある意味不幸ではないか?
と、思ったりもします。

さいごに

不登校だからって、不幸ではないですし
学校に行ったからて、幸福になるわけではありません。

大事なのは「その人らしく」生きられることでしょう。
何か優れた才能や、学校以外の方が個性が伸びるなら
そっちの方が幸福でしょう。

読んでいただき、ありがとうございました。

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