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坂本龍一は"ボツ"も愉しむ

自分が思うままに仕事をしたい。"一流"になったら裁量が与えられるんだろうか。

「それは、傲慢だよ」

こう言われてしまいそうな気がする。坂本龍一に、だ。

3月21日に発売される坂本龍一のアナログ盤ボックス「Ryuichi Sakamoto 2019」は、彼の1年間の仕事を振り返る内容だ。2019年、坂本さんは「Black Mirror」(Netflix)「パラダイス・ネクスト」「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」「The Staggering Girl 」「プロキシマ」「さよなら、ティラノ」という6作品のサウンドトラックを手掛けた。

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2014年にがんを公表したのが遠い昔なのではないかと錯覚してしまうほどの仕事ぶりだ。

約1年の闘病生活を経て、復帰したのが2016年。このときは山田洋次監督の「母と暮せば」、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「レヴェナント: 蘇えりし者」の2作品のサウンドトラックを制作し、ギリギリの状態になったと話していたのが印象に残っている。特に後者の制作は体力の限界を感じ、盟友のアルヴァ・ノトの力を借りてなんとか完成させ「初めて自分に負けた」としていた。

それから3年、6作品のサウンドトラックを公開し、世界中を駆け巡っていた2019年。コンサート数こそ少なかったものの、仕事量を見ると68歳とは思えない。

そんな1年の活動は、GQの連載「教授動静」に綴られる。仕事で世界中を旅しながら、各国にいる友人と楽しい時間を過ごしたり、制作合宿をしてみたりと充実した時間だったと伺えるが、仕事人としての壁にぶち当たる様も綴られている。

ボツをくらった楽曲

半野喜弘監督の「パラダイス・ネクスト」のテーマ曲は、一度「ボツ」をくらい、2度めの提出でGOサインが出たそうだ。

「編集が終わった映画の映像を観ながら、このシーンにこんな音楽があるといいんじゃないかと作って出したのが、わりといまのぼくの音楽っぽい作品。ミニマルで、メロディよりもサウンドを重視したもの。ところが、それを提出したら『もっとトラディショナルな映画音楽が欲しい』というボツをくらいまして、ちょっとムッとしつつ(笑)、書き直しました。むかしの『ラストエンペラー』のような映画音楽らしい映画音楽は、書こうと思えばそれらしいものは書けますが、いまはそういう気がない。こういう機会がなければ書かなかったかもしれない。ムッとしたことで書けた曲とも言える。監督のそういう作戦だったのかな(笑)」──教授動静 第14回:坂本龍一、台湾の少数民族に出会う

当たり前だけれど、映画音楽とはクライアントワークだ。クライアントがOKを出してくれなければ、成立しない。それは坂本さんでも同じで、以前「映画音楽は音楽として不自由」と苦笑していた。

30歳のときに「戦場のメリークリスマス」の楽曲を手掛けたときから、何度もクライアントとの衝突は経験してきた。それから40年が経とうとしているが、「自分はあなたよりも音楽に詳しい」と突っぱねることもなく、今も「不自由」な音楽を作り続けている。

坂本龍一であれば、なんだって自由に作れてしまいそうだ。でも、どうしてあえて不自由な音楽を作るのだろう。

「不自由さが……いい刺激になったりしますね。自分がやったことのない可能性が出てくるかもしれないでしょ?」

と、過去に語っていた。常に新しさを求めて不自由さに立ち向かっているのだ。若い時ならば、経験値や青さが伸びしろになる。でも、坂本さんの場合は、引用の発言にある通り「ラスト・エンペラー」をはじめとする「昔の自分」を求められたりもする。

同じことをやるのは新しいものを作るよりも簡単だ。それが経験値なのだろう。でも、「そういう気はない」のが作り手としての正直な気持ちだ。

「現在の自分」と「過去の自分」のギャップはこれからしばしぶち当たりそうな悩みだろう。その試行錯誤の結果のひとつが「Paradise Next Requiem」ということになる。どんなに成功を収めても、自由に好きなように仕事をしているだけでは、”いい仕事”はできない。

それは、坂本龍一も同じなのだ。

がんの闘病後、雨音を聴いて目をキラキラにさせる

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現在の坂本龍一とはどんなものだろう?

大きなヒントになるのが2017年にリリースした8年ぶりのオリジナルアルバム「async」だ。その制作過程は、坂本龍一の5年間を追ったドキュメンタリー映画「CODA」に収められている。もちろん撮影時期は、がんの闘病も挟んでいる。

「CODA」とは楽曲の終末部を意味する。いよいよなのか……と思ってしまったが、淡々と楽曲制作に明け暮れている様は、鶴の機織りを見ているかのような気持ちになる。

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ひとつのシーンがとても印象に残っている。

ある雨の日、庭先に降る雨を見て何を思ったのか動き出す。

雨粒が地面に打たれる音が四方八方から聞こえる。葉っぱ、土、コンクリート……雨粒が弾ける場所によって微妙に音が違う。坂本さんはおもむろに雨降る庭でバケツをかぶって雨音を聞く。肩に雨があたって服が濡れていくものの、じっと庭で立ったまま。カメラが背中をとらえると、バケツをとってくるりと振り返り、少年のように目を輝かせて笑うのだ。

これまでも、理想の音を探して、北極に行ったり深い森に足を踏み入れたりしてきた坂本龍一が、ワクワクしたのが庭先の雨音だった。

飽くなき。

がんに罹り、生死をさまよった後でも新しい音を探して、いろんなところにマイクをあてる。ひっそりとスタジオに籠っては、新しい音とこれまでの音をつなぎ合わせて、顔をしかめたりほころばせたりしている毎日を送っている。

他人からの意見が、新しい技を生み出すこともある。それが映画「プロキシマ」のサウンドトラックだ。映画を彩る音楽の中に合唱が挿入されている。「ぼくが映画の音楽で合唱を取り入れることは珍しい」と語るほど、"非・坂本龍一"的なやり方だが、これは「母に暮せば」の楽曲制作をする際、山田洋次監督から合唱の音を入れてほしいとオーダーがあったのを、応用したそうだ。歌声の中に「solari」(「async」に挿入)のような音が重なる。

今の自分と、他者からの声と、映画と、昔の自分と。手元にあるいろんな要素をかけあわせて坂本龍一は、たえず変化している。

「僕に個性はない」

2018年の4月。私は坂本さんにインタビューをしたときに、彼に向かって「個性とはどうやったらできるんですか?」と質問した。

坂本龍一はどう答えるのだろう? "自分探し"真っ只中な私が欲しい答えを持っているようで聞いてみたかった。

「僕に個性はないなぁ……」

あっけにとられてしまった。

「僕は、飽きっぽいからね。すぐに違うことをやりたくなってしまうんだ。(山下)達郎はすごいよ。ずっと聴く人に向けて自分の音を届け続けてる。彼にはかなわない。昔は自分だけの音というのも憧れたんだけど……今はないなぁ。僕には個性はないんだ」

そこに劣等感や後悔の念は全く感じられない。本当にそう思っているのだろう。続けて「ピアノの方はちょっとサティっぽいって言われたりするんだけど……」と、照れながら話す。

個性は、自分で自覚できるものではない。もし、持ってしまったら映画音楽という不自由な音楽なんて作れないだろうし、きっと変化もない。

食い下がって「自分の作品で、人の心を動かしたいとは思いませんか」と聞く。

「それは……病気だよ。すごく恥ずかしいこと。誰かを動かしたいだなんて。音楽で世界は救えないし、癒やしもしない」

力む私に「……退屈だから新しい音楽を作るんだよ」と、ふわりと答えを差し出す。インタビューの際は、自らの老いをも学びと捉えこんな発言をしていた。

「指は......動かなくなってますよ。ピアノもどんどん下手になってきている。でも....曲想が変わってきている。指が動かなくても成立する音楽になっているかもしれません。きっと、どんどん音が少なくなって、最後に1音になって消えていく......みたいな」
──坂本龍一 死を垣間見てわかったのは、意外なことだった

不自由さは、おもしろい。変わることは、楽しい。

「Ryuichi Sakamoto 2019」は、こうした坂本龍一の飽くなき好奇心がつまっている。それは病を経ても消えることがなかったピュアなものだ。

ところで、6つの映画音楽の中にひとつだけ、200人の購入者しか聴くことができない楽曲が挿入されている。バッハのように左手の旋律と右手のそれとが、絡まったり離れたりしながら進んでいく。音数の少ないピアノの音。

私がインタビューをしてから2年が経つ。坂本龍一は、今日もまた変わっていた。


Photo:Kab Inc. / Photo by Zakkubalan

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