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飛行機で

飛行機で見た光景だ。

私が飛行機に乗るのは出張の時しかなく、大体1人で空の旅をする。エコノミーの4人掛けの席で端っこに座りながら周囲を見渡す。

飛行機が離陸するまでの時間はたいてい忙しない。荷物をキャビネットにいれ、ひとつひとつ丁寧にビニールでくるまれたブランケットやスリッパ、ヘッドフォンの封を開ける。まるでマニュアルでもあるかのようにみんなが同じ行動をとる。

私の隣には父とおぼしき男性と幼稚園生ぐらいの娘が着席していた。二人旅なのだろうか、母親の姿は見えなかった。

少女は謎の大きな乗り物が空を飛ぶことにいたく興奮しているようだった。いや……正確に言うと、少し不安を感じながらも強がっている様子だ。しきりに「これ本当に飛ぶの? 全然怖くないよ、私」と弾けるような声で父に向かって話す。

そんな娘に対して、父は「静かにしないとダメだよ」といなすものの、少女のパワーは底を知らない。目を輝かせる様子に少し困った様子だった。とても微笑ましい。

しばらくすると、キャビンアテンダントが飲み物をリサーブしに回ってきた。私は温かいお茶を注文し、隣に座る「父」は、リンゴジュースをオーダーした。飛行機はクーラーが強くきいていたので、お茶は食道を流れていき、身体をあたためた。

キャビンアテンダントがUターンしながら再び私たちの近くに来る。そのときに「父」は、「お茶をください」と言った。「あれ、さっきジュース頼んでなかったっけ?」と思ったのだが、乗務員は慣れた様子で男性にお茶を渡した。

そんなに機内は乾燥しているのだろうかと視線をやると、彼の席にはリンゴジュースなどなかった。先ほど頼んだものは少女の元へ渡っていたのだ。

少女は自分の前に置かれたリンゴジュースを当たり前のように飲み干し、飛行機のサービスとして渡された玩具で遊ぶのに夢中だった。

一瞬の、ふつうの出来事。父は表情を変えなかった。

それが彼にとっては普通のことだからだ。なんの見返りも求めない。単純に娘を愛し、育てているうちに染み付いた習慣。親になったらそんなことは当たり前な行為なのかもしれないが、飛行機での光景はとても美しいものに見えた。愛とはこんなにもささやかなものなのだ。

娘は、親からの庇護があるなんてことは気がつかない。目の前のことに全力で、興奮して、時にぶつかって、泣き喚いて。そうやって大人になっていく。それは、彼女自身が日々全力で生きている証拠でもある。

きっと本人たちも気がつくことのない、名もなき優しさが世の中には溢れている。「愛しているよ」と言ったり、頭を撫でることだけが愛情表現ではない。

私も人の娘である。きっと私は父から注がれた愛の一端を気がつくことはできてこなかった。しかし、こうして他の親子を見るとき、自分は守られていたのだと悟る。


※iPhoneを見返していたら4年ほど前の日記が出てきたので、ちょっといじって公開してみました。

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