飛行機雲と白い球。
青空に向かって放たれた打球と音楽は、青春の象徴だ。青空エール、なんていうまさにそれぴったりの映画があったりもして、鑑賞した時にはまだ若い竹内涼真に胸を躍らせた。そんなことはいい、甲子園シーズンのこの季節、バットから気持ちよくカキーン!と音が放たれて、音とともに球が飛んでいく。あれこそ青春そのものだと思うのだ。
夏の甲子園も残すところあと1日。夏は終わらない、とか夏は帰らないとかよく言うけど、夏の甲子園が終わると私の夏は終わってしまう気がしている。終わるというより欠けてしまう。夏は絵の具の青ばかり使ってそれだけがなくなってしまう、それに似ている気がする。青がなくなっても夏の絵は描けるけど、やっぱり物足りない。
野球もろくにしたことがない私がどうしてこんなに甲子園が好きなのか。
夏の甲子園出場をかけた県予選。私の母校では初戦、全校応援に行くようになっていて、生徒会役員だった私は応援団や吹奏楽部の補助という立場でそこにいた。氷を持って応援席を走り、濡れタオルを渡して駆け回った。
たしかあの頃からだった。飛んでいく球をみんなが追いかけている中、私は球を追うみんなの顔を追った。明らかに物語は試合を進めている選手たちを中心に繰り広げられているのに、そのさらに周りの物語を進める人、そんな感じだった。人を撮り始めた原点のひとつに、その光景が浮かぶ。
私の周りで起こっている物語がどう進んでいっているのかに目がいって自分の物語は後回し。だから多分私はそれを追い続ける仕事を選んだと思うし、しっくりきているのもそれが理由かもしれない。
そんなことを思いながら今年も繰り広げられた熱戦に私は胸を打たれていた。
努力、底力、才能、思い、まばゆい輝き、いろんなものが詰まっている。試合をみて、ああ、私も頑張ろう。と思う人がたくさんいるのではないだろうか、少なくとも私は思う。努力は報われない、と球場を後にした選手もたくさんいるかもしれない。そうね、勝つという結果はついてこなかったかもしれない。でも、私たちに夢をくれた。彼らは最高のヒーローだ、ありがとうと心から伝えたい。
例年に増してホームランが放たれた今年の甲子園。放たれるあの高い音はきっと、彼らの胸の高まりだ。声援に負けない音の高さと芯と、綺麗に描かれる放物線ほど、夏の風物詩と呼べるものはないと思ってしまう。応援歌と歓声の中放たれた白い球は、突き抜けるほど青い空を飛んで行く。小さい頃私たちは、飛行機を見て胸を躍らせ、飛行機雲を見てなぜか嬉しくなった。きっとそれだ。彼らの打球は飛行機のようで、見えない飛行機雲のような何かを私たちの胸に残してくれる、だから好きなんだ。