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【中学/高校時代】急転直下の貧乏生活の中での将来設計

おはようございます。
普通にジェットコースター大嫌いな西岡です。

ただ今日は自分の話ウィーク第4弾。
ジェットコースターのような乱高下の激流に飲まれた中学、高校時代の話です。

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独立、失敗、生活が一変
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母は雇われとして成功していて、独立するという話が出ていた。そんなときに中学生である僕に母は尋ねた。

「家を買うか、独立するかどっちがいいと思う?」

僕はまだお金を稼ぐ大変さとかはわかってなかったし、独立したいんだろうなって気持ちもわかったから、独立を勧めた。そして独立。

でもこれが大失敗。人を信じすぎたお人よしの母ゆえの失敗だった、と僕は認識している。詳細は正直わからないし、今更聞く気もない。そして借金が残り、母も精神的にダメージを受け、精神面、金銭面で急転直下の下り坂となる。。。

家も裕福な人しか住めない家から、家族で住むには厳しい広さのアパートに。数字を出すと生ましいので多少オブラートに包むと、おそらくマックスとミニマムを比べたら家賃は10分の1以下にまで落ち込んだ。おおよその見当はつくでしょう。。。

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1階、1DKに家族3人住まい
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僕が受験をしたばかりに、きっと学費を工面するのは相当大変だったんじゃないかな。区に借りたり、いろんな手段を使って高校を卒業させてくれた。大学にも行かせてくれた。何度も言うがそこには感謝しかない。
ちなみに上記の急転直下が起きたのは記憶が正しければ高校2年生かな。正直この頃の記憶はあいまいです。色んなことがありすぎて、思い出せば思い出すほど矛盾点が見つかってどこの記憶が間違ってるのかがわからなくなる。間違いなく覚えているのは何度か引っ越しを経て、色んな部分で安定するようになったのは大学1年のころ。それまでは激流の中毎日すごしていたようなそんな感覚。友達にすべてを話していたわけではないし、僕の精神も多少おかしな方向にも進んでいた。というよりも荒れてた、が正しいのかな。狭い家に住んでいると、通常よりも喧嘩をしてしまういろんな部分で歪みが目立ってしまう。

それでも家族は仲が良かった。母の精神面はなかなか改善はしないし、僕も妹も思春期真っ只中で、ぶつかることはあっても分裂するほどにはならなかった。そして無事に僕は高校を、妹は中学を卒業した。

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アルバイトで学んだこと
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大きく分けて、3つある。
①働く、稼ぐということがどういうことなのか。
②マネジメントへの興味
③会社員として働く人々の大変さ

①は誰もが経験する感情。お金ってこうやって稼ぐんだな。人に何かしらのサービスを提供して、それを時間だったり、成果として出した経過を元に給料が支払われる。お金は勝手に湧き出るわけじゃない。昔裕福だった時代の異常さをこのタイミングで知ることになる。

②社員代行アルバイトという、いわゆるバイトリーダーになることで、人に仕事をお願いして、その個々の仕事を集結して成果にするという「マネジメント」に異常なほどに楽しさを覚える。これを経験できたからこそ、社長へのあこがれや、理想のリーダー像のようなものが徐々に出来上がっていたように思える。

③アルバイトで働く場には、数名必ず社員がいますよね。その人たちの話を聞くと大きな会社で働く社員の苦悩を知ることになる。飛んだ人間もいた。正直飛ぶ気持ちはわからないけど、辛かったんだろう。人が決定したことに従って働くことはストレスがたまることだなと思った。

この頃から向上心が刺激される場に行きたいという気持ちが強くなり、仕事をする楽しさや、早く大人になりたいという気持ちが強くなっていった。大学4年間で授業よりも仕事で学んでいくことのほうが多いだろうなとも思っていた。実際僕の歩んだ人生においてはそれがすべてに近い。。。

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どういう道をたどるのか
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母は、事業を失敗した身だからか、僕に対して安定する職業についてほしいという気持ちが強かった。数学の先生になりたいという夢を高校3年生の夏に辞めて、大学には法学部生として進むことを決めた僕に対し、公務員や、弁護士にといっつも言っていた。理屈っぽい性格や、弁が立つ自分に対して弁護士があっているというのは未だに言ってくるくらいですw。僕自身は一瞬しか検討しないくらいでしたが。。。笑

夢が変わった経緯はこちらの記事をお読みください。


じゃあ何になるのか。どこの大学で何を学ぶのか。となった時に、「自分は何者にでもなれるが、今は決められない、何をするにも勉強していてよかったと思えるものを勉強しよう」という気持ちで法学部を選んだ。その時ちょうど法律関係の番組が全盛で目が言っていたのもある。

そして、大学選び。ここには自分の反骨精神的なくだらないプライドがあり、「大学なんてどこも一緒、むしろ学歴を売りに人生を歩んでいきたくない」という若考えだった。負け犬の遠吠えに聞こえるとは思うが、「東大生にだけはなりたくない」と言っていたくらいだ。ただ、この考えは未だにかわっていないw 自分はこう言う部分は非常に子供で、「東大」とかでかすぎる肩書を背負うと自分が消えてしまいそうで毛嫌いする癖がある。東大に行った人、大企業に入った人の中には一定数、「○○の西岡です」と○○ありきの自己紹介をどんな場でもする人間がいる。そういう人間が嫌いなんですw そうならなきゃいいだけだけど、並列で並びたくない。
だったら「大学は大したことないけどやってることはすごい」という評価を受けたい、みたいな根拠のないやり遂げられるという自信が当時からあった。これについてはお恥ずかしい限りです。。。

まーそんなこんなで、「なんとなく行きたい大学」を列挙して、受験した。大学生にさえなれれば、あとはどうにでもなれると思っていた。学ぶことは仕事のほうが多いだろうとも思っていた。そして某二流大学に進むことになる。これについてはもっとできたのにと思うことはあるけど、後悔はしていない。

続きは明日更新予定の大学、就活編で。

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