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客観視によって心が救われた話

人生はどうあっても主観でしか物事を見ることは出来ないと思っている。
客観的というのはあくまでも客観「的」なだけで、完全な客観視は出来ない、というのが私の考え。

自分の五感の完全な外側から何かを思考することは不可能と思うし、それは人間の本質であるとも思う。
客観視というのはあくまでも共感を交えた概念だと考えている。

人には受け入れ難い何かが起こった時、5つの段階を経て物事を受容すると心理学の本で読んだ。
死の受容曲線だとか、キューブラー ロス・モデルというらしい。何だかかっこいい名前。

私は多分、この5段階を何度も繰り返して生きてきた。
まぁ生きていれば結構な人が自然と行なっていることだろうから、だから何だという話ではある。

一度嫌いになった人を二度と好きになれない、という人が周りには割といる。

私はその逆であることが多い。

最初は苦手意識があった人や物事、何かのきっかけで揉めたり離縁したりした人たち、
形は様々ではあるが結果的に自分の中ではその存在を好意的に受け止められたり、今の在り方を受け入れることが出来たりする。

失恋などは最たる例と思う。

別れの理由がどうあれ、私も初めは例のキューブラー ロス・モデルの1段階目に入った。
自分の悪かった部分から目を背けながら、ぶつけようのない苦しみを抱えて悲嘆に暮れた。

そこからフツフツと怒りが湧き、ぶつける事も誰かに知ってもらうことも出来なかった自分の感情が独り立ちして私の身体中で暴れ回った。
2段階目の「怒り」だと思う。

だんだんとその怒りが虚しくなる頃、自分の至らなかった部分、目を背けたかったが向き合わなければならない事実、頭が少し冷えて色々な物事が脳になだれ込んでくる。
その事実と向き合いながらも何処かでその縁を断てずに、偶像のようなものを自分の中に置いてそれを基準に過ごした。
多分、3段階目の「取引」。

抑うつが最も苦しかったような気がする。4段階目。
私にとっては怒りよりも悲しみよりも制御し難い感情で、しばしば私はこれに振り回される。
自責の念やフッと湧いては消える願望、やり場の無い喪失感で動けなくなったり、記憶障害や人格の分離があった。
手放し難い何かがあったが、私は視界から大好きだったものを消すことにした。

嫌いになったとか、拒絶したいとか、そんな理由でなくても人が人から離れる事があるのはこういうことが一因なのだろう。

ぽつんと独りになって、孤独感と共に妙な安心感を抱えながら5段階目に入った。
「受容」が完全にできたとは言いづらいけれど、私は今この辺りにいるのではないかと思う。


たったひとつの失恋で何をそんなに大袈裟な、と感じる人は沢山いるだろうなぁと思いながら今これを書いている。


何故こんな記事を唐突に書きたくなったのかはあまり分からない。

ただ、その元恋人の撮ってくれた私の写真を、ある写真家さんが褒めてくれた。
それが多分きっととても嬉しくて、それを「嬉しいこと」と感じられる自分にも嬉しくて、その気持ちを記したくてnoteを開いたのだと思う。

当時は特に何も考えず過去画像としてその写真をアップロードした。
かなり前の投稿になる。

正直に言うと、その写真を上げていたことすら忘れてしまっていた。
彼のことを思い出すと少し悲しい気持ちになるくらいで、桜が咲き始める頃には彼の悪いことを思い出すことは殆ど無くなっていたように思う。


「この写真がとても好きです。他の作品が見たいので、撮影した人を教えてくれませんか。」という旨の一通のダイレクトメールから、私の中に彼の面影がふと現れた。

私は元恋人の撮影であることを伝え、アカウントもお教えさせていただいた。

「岸さんがしっかりと写っている理由がわかりました。」
その言葉にとても救われた。

4年半、私にとっては決して短くない時間だった。
良いことも悪いことも、色んなことがあった。

悪いことや苦しかったことの記憶、ぶつけられなかった感情に振り回されてばかりだった頃と比べたら随分受容できてきたなと思う。

私の見る「客観」でなくても、二人の外側から見ても伝わる愛情や大切に思う気持ちが、写真を通して誰かの心に伝わってくれたことで救われた。

その写真家さんはまだお会いしたことはなく、ポートレートの大きな展示会で作品を見て
「ああ、良いな。素敵だな」と感じ、Instagramをすぐにフォローした。
様々な愛の形を表現する写真を出展していた方だった。

そういった愛情や人の心の機微を写し出す方に、その隠れた1枚を見つけて認めて貰えたことが本当に嬉しかったのだと思う。


4年半が終わってしまったという事実は変えられないけれど、ちゃんと私は大切にされていたことを再確認し、彼に対してありがとうと改めて思えた。

私は彼の作品が今でも好きだし、私が被写体をするにあたって、今ここにこうして表現者として生きている過程で、彼は多くの彩りを添えてくれた人だ。

そもそもカメラを触るようになったり、スマートフォンのカメラ機能を趣味で使ったり、普段は聴かないような音楽を聴いてみたり、お洒落をしてみたり、
全てのきっかけは殆どと言っていいほど彼の影響を受けていたと思う。

前記事に記したように、彼の求める「何か」に成らなくてはという焦燥感に駆られてのスタートだったので、あまり良い始まりとは言えない。
しかし今となっては、私はこの世界をとても楽しんでいるし、多くの表現の形に触れることが出来てとても幸せだと感じている。

実を言うと彼に言われなければInstagramというアプリすら入れることはない女だった。


何だか変な形の惚気話みたいに脱線してしまった。
恋は盲目と言うが失恋した後も視力は戻らないっぽい。怖い。

そんなこんなで、時たま心の中で寂しさや悲しさが顔を出して暴れ出すこともあるけれど、私はちゃんと今を生きることが出来るようになってきたんだなと感じた。

一旦怒りや失望などの負の感情を抱えたあと、そのドス黒いフィルターがゆっくり剥がれ落ちて、彼を色眼鏡なしに見られるようになった。
つまり、粗探しや悪い部分だけ注視することをしなくなった。

目を背ける訳ではなく、起こった事実は受け止めつつも、あくまでもそれは過去であり人生の一部であり、今の私は彼を1人のアーティストとして大切に思っている。

滅多に人を撮る人ではなかった。

でも確か、その日の夕焼けとススキは本当に綺麗で、一面に広がるススキの草原と遠目に見える風車が印象的な場所だった。
「もしもあの世があるなら、こんな世界だといい」と彼に話したことを覚えている。
オレンジがかったフィルムの中にいるような、柔らかな斜陽の彩度を未だ鮮明に思い起こすことが出来る。
木の桟橋みたいなものが道のようにずっと続いていて、そこで撮ってくれたものだったはずだ。

あの時彼がどんな気持ちで撮ってくれて、それが今どんな形で受け止められるものなのかは分からない。
それでもあの写真を撮られた時、私のレンズを見る眼差しや表情は、愛する人を見つめるその顔だったのだろうと思う。

ただあの時の私は、構えられたレンズ越しに、愛する人を眺めていた。

客観的な忌憚のない意見によって、この写真は私にとっては当時の関係や感情を肯定してくれる1枚となった。

今どこで何をしているかはあんまり知らないけれど、きっと幸せになっているといいな。
4年半、大事にされていた事実は揺らがないと信じたい、そんな思いを込めて。


タイトル写真: おたるみさき様 撮影(Instagram ID @otaru_misaki)

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