名無(なな)

札幌被写体/写真撮影/ポールダンス/絵画・文章等創作 https://lit.link…

名無(なな)

札幌被写体/写真撮影/ポールダンス/絵画・文章等創作 https://lit.link/yuirikishi

最近の記事

押し寄せる情報量と戦った冬、受容の春。(近況日記)

札幌にも桜が綺麗な時期がやってまいりました。 中島公園近辺は今年は早くも強風に殲滅されてしまっていたけれど、昨日なんとか快晴と満開という最高の春の風物詩に出会わせて頂けた。 そんな美しいものと出会える春、そしてその美しいものと一緒に私を写真に残していただけた春。 カメラマン様には感謝してもしきれない。こんな季節は私の残った人生の中であと何度あるのだろうかと少しだけ切なくなる。 ただ、ああやっと春が来たなという柔らかで温かな心の安寧も感じている。 去年の冬頃から急激に

    • 自分というコンテンツ、について考える(近況日記)

      札幌に越してきて5年、被写体を本格的に初めて半年と少し。過去最長の夏だった。 何せかんせ暑かった……。関西人も唸る暑さ。 ようやく気温も落ち着いて一番大好きな秋冬ファッションが出来るので私は小躍りしています。 レイヤードスタイルが捗るし、お洋服に合わせたメイクが汗でドロドロになっちゃうことも減る。 眠る前、朝起きた時、予定が決まった時、 服を選ぶのが楽しい。とても楽しい。 メイクをする利き手もなんだか喜んでいる気がする。それぐらいには嬉しい季節がやってきた。 30代に突入

      • 撮影のご依頼に関しまして

        (ヘッダー画像: おたるみさき様撮影) こんにちは。 改めましてですが、札幌を拠点として被写体・デッサンモデルとして活動している名無(なな)です。 以前は岸 ユイリという名義で活動しておりました。 依頼を承る際に、よくある質問や条件等をこちらの記事にまとめさせて頂きました。 ご連絡の前にお手数ですが一読いただけますと幸いです。 《私について》・傷跡が身体に沢山あります。・タトゥーも沢山あります。40歳までに体を埋め尽くす予定です。 ・喫煙者です。お酒も飲みます。 喫煙

        • 服が好き

          私は金銭が許す限り、毎日でも違う服を着たいと思う。 人と違う格好をしたいとも思う。 メイクも流行のものよりは、その日の自分の色を表すものをメインテーマに施したい。 ファッションは自己表現のひとつでもあり、その日の自分を他人にどう見せたいかという重要な部分も担ってくれる。 被写体としては、その日のカメラマン様の創りたい世界を最大限描写できるような役割も持っている、と考えている。 私にとっては衣類やメイクの一つ一つがまたキャストでもあるのだ。 成りたいを叶えてくれる、ひとつの

        押し寄せる情報量と戦った冬、受容の春。(近況日記)

          客観視によって心が救われた話

          人生はどうあっても主観でしか物事を見ることは出来ないと思っている。 客観的というのはあくまでも客観「的」なだけで、完全な客観視は出来ない、というのが私の考え。 自分の五感の完全な外側から何かを思考することは不可能と思うし、それは人間の本質であるとも思う。 客観視というのはあくまでも共感を交えた概念だと考えている。 人には受け入れ難い何かが起こった時、5つの段階を経て物事を受容すると心理学の本で読んだ。 死の受容曲線だとか、キューブラー ロス・モデルというらしい。何だかかっ

          客観視によって心が救われた話

          何色にでもなりたいけど、染まりたくない

          そういうふうに思うことがある。 被写体や身体表現をしながら生きていくことにした経緯は前記事に書いたけれど、そういった一面もあって私は今ここに在る。 ちなみに前記事に記した私の憧れるコントーショニストとこの記事に記す「成りたかったもの」は別であることを片隅に置いて読んでもらえると嬉しい。 前記事ではふとした憧れからザックリと被写体を始める経緯を書いたけれど、これは そういえばこんなこともあったな〜 っていう何でもない過去語りのようなものだと思って欲しい。 私は映画や演劇を

          何色にでもなりたいけど、染まりたくない

          私が身体表現に興味を持った話

          私は元々幼少の頃から絵を描くことが好きだ。 それはもうやるべき事そっちのけで、何時間も没頭し寝る時間を惜しんで筆を持ち続けたりするような日もあった。 大した技量も画力もないが、10代の頃の多くはそうやって過ごしてきた。 でもなぜか、突然絵が描けなくなった。 私にとっては口をガムテープで塞がれているかのような閉塞感を感じたし、表現することで私の心は呼吸をしていたのだと思う。 言葉にできない私の色々な感情を絵は代弁してくれたし、私にとって筆は舌のようなものであった。 決し

          私が身体表現に興味を持った話