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改めて、自己紹介をしよう。

天才でありたい

突然だが、27最で死のうと思って生きている。なんでこんなに生き急ぐんだと感じてる人もいるだろう。文字通り死ぬ気で生きている。なぜかと言うと27歳で死んだら天才だからだ。意外としょうもない理由だろう。何かしらの偉人は 27歳で死んでいる。だから27歳で死ねたら、天才になれるじゃないかって思っている。

某人間

現代の若者の何者かになりたいという幻想に取り憑かれている状態が気持ち悪い。まあそんなのはどうでもいいか。「いつからこうなの?」と聞かれることが多いけどもともとこうである。おかしい。いやおかしいわけではない。ビッグダディじゃないけど。もともとこういう人間だよ。最初から何かずれた感覚を持っていたようにも感じる。こんなことを言うと、「別にお前は普通だよ」とか言ってくれるやつがいるんだけどまあいいだろ。

多分、幸福

一応面白い両親に育てられたと思う。人に愛されたとは思っている。いろんな地域に行って、いろんな人と話すたびにここまで家族の話をできる人はいないと言われるから。それなりに恵まれてるんだろうと思う。幸福度の中央値にいる世帯収入の家庭環境で育っているはずだから幸福なんだろうな。

ただの文学少年

何をしてきたかというと本を読み続けてきた。多いときには1 日 4 冊以上読んでいた。小学生時代。あの時期に何千冊と読んだんだろう。そこで学んだ言葉が、思考が、今の自分を支えている。精神科の先生によれば、幼少期にいろんな人格を吸収しすぎたせいで今のあなたができたんだろうと言われた。勘違いしている人も多いが佐々木はただの文学少年である。どちらかと言えば。1人で静かに本を読んでいたい人間である。それがある時期から笑われていた方がいいと。軽い方がいいと道化を演じるようになった。このままで書いて、人間失格の冒頭のようで笑えてしまう。

何かが足りない

何かするたびに「あなたの場所、居場所はここじゃない」「頑張っていればいつか本当にやりたいことが見つかるよ」と言われる。「1人でできそうだなあ」と言われる。人に支えられて生きているのに、そんなことが言われるのは心外である。

理想と現実

去年から目標に捧げている。『誰かのきっかけのきっかけになる』とは何だろうか。1 冊の本を渡して、目の前の人間が変わっていくのが好きだった。「湧雅のおかげで本が好きになった」と言われるの好きだった。何かイベントに参加して。そこで誰かが成長していくのが好きだった。大勢の人が話しているのを見るのが好きだ。騒がしい教室で。友達を眺めながら。本読んでいたい。そんな人間である。そういう場所を作るために。目立つことを選んだ。人を集めるために目立つことを選んでいる。

だから誤解されることも多い。こんなに話しているが『黙れる空間』を作りたいのだ。『大きな家』を作りたい。『帰る場所』を作りたいと思ってる。それが多分【まちづくり】という手段になっている。自分の車に乗った時に「実家みたいに思ってる」と云う。後輩たち、友達が好きだ。
安心できる場所が作れていると思ってる。
バイト先の先輩から「後輩に飯はおごれ」と言われた。奢られてきた。いろんな人から、いろんなものをもらってきた。だからこそ。人に自分が持っているものを、惜しみなく、笑顔で分け与えられる人間でありたいと思う。

幸福を与えられる人間に

残念ながら現状お金はない。わかりやすく物量的に与えられるものはない。だからこそ。何かを目指す人を車に乗せて、目的地まで運ぼうと思う。これが今の自分にできることで帰る場所を作ることなんだ。帰る場所をたくさん作る。帰れる場所がたくさんあるからこそ、どこまででも行けるんだと思う。そろそろ『誰かのきっかけ』というところを自分自身にしてもいいのではないかと思い始めてる。
残念ながら、幸福は誰かの不幸の上に成り立っていると考えてしまう。だからこそ、自分自身を、自分の感情を殺して、動くことを選んでしまう。

湧雅に生こう

多分、それは間違ってる。
誰かの幸福は自分自身の幸福から始まってなければ幸せじゃない?
ある先生に「湧雅に生きなさい」と言われた。
確かにそうだなと思った。名の通りに育ったとは思わないが、育つつもりはなかったが名の通りに育っている。
あと数年、20 代しか。この現状の行き方は通用しない。だからこそ。次の目的地に行こうと思う。


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