分岐点は常にたいへんだ
最近初めて将来の夢が決まった。夢とか目標とかやりたいことって境界がなくてどう表現したら適切かは分からないから憧れを込めてとりあえず''夢''ってことで。
「これになる!」
と思った職業は「精神保健福祉士(PSW)」で、簡単にいうと精神障害を持っている人と社会とをつなぐ仕事だと私は認識している。
福祉を今まで勉強したこともないけど、私はなぜか「平等」というものが絡んでくると自分でもわからない程にエネルギーが出てくる。
北朝鮮問題・LGBTQ+・福祉・フェアトレード
私が考えるに、多数決の世の中でマイノリティーが抱える生きづらさはそう簡単な問題ではなくて、それを理解できるようになった時、その中のどんな問題の1つでも解決の糸口が見つけられたとき、私の人生の中で求めているものの理解にもつながるような気がしている。
「なんでこんなに北朝鮮のことを調べるエネルギーが湧くんだ?なんでこんなに北朝鮮に詳しくなってんだ私。」っていうことに対する問とか。
んん~、うまく文章書けないや。悩んでたり落ち込んだりダメージ食らってる時ほど表現力は出てくると思ってるので、これは私が割とポジティブな証拠でもあって、それは「面白くない」を意味してるような気もするけど。もう書くたびにバシッとこないね(笑)
本当に就活終わってからいろんなピースがバチッとはまって「なんでこんなタイミングよく…」とも思ったけど、1社落ちたらまた人生を考え直そうと計画していた私の選択を肯定してやろうと思ってる。
つまり、色々あってPSWになると決めたのだ。
1番自分に近いところにあるのは病気をしたこと。
お金を稼げなくて、只々親に養われてひきこもっているのがしんどかった。
資本主義社会の中での私の存在意義が本当に見つからなかった。ということはいなくなるという選択が出てくる。
だけど人生を終わりにするのはあまりにも難しくて、人に迷惑をかけずにスッと消える方法はなかった。(今も見つかっていない)
そして、苦しいのに居なくなれないこと、生き続けないといけないことが苦痛ですごく試練的な日々だった。
社会の一員として賃金を稼ぐこと、自分にその価値を見出すことは生きることなのだと考えた。
あと印象的なことは周りで困っている友人が多い事。沖縄は貧困や離婚、若年妊娠が問題となっている。もっと、社会の一員になるハードルは低くても良いと思う。
「大学に行きたいと言った時、親がどんな顔したか。」友人のその言葉が忘れられない。
家庭内での役割があまりにも大きかった彼女は自分の為の人生を歩めずにいた。
私たちの友人グループはそれを全員で共感し合った。
あなたみたいな人達の為に私は絶対にPSWになる。
そう決めた時が最後のピースがはまった瞬間だった。
カウンセリングではなくて、もっと物理的に、社会にある障害物につまづいている人を引っ張り出す。それが精神的な安定のトリガーになると私は考えている。
重要なのは、私がした体験から、自分がやりたいと思ったのが、心理より「就労支援寄りのサポートの形」だったということ。
PSWとしては、人を自分が助けられるとか助けたいとかそういう大それたことが出来る能力が自分にあるとは思ってなくて、
人々が行う選択の中で、私が勉強して体験した知識を使って利用者さんの選択肢を外部から広げる・増やすことが出来たら、より良い選択をし易いのではないかと思っている。その人の人生の、日常の分岐点で私の提案した選択肢は選ばれなくても良い。「この道もある」と示すことが重要だと考えている。
そうして生きていくことは私が社会の一員であることを証明していて、私の精神の安定にもなるのだ。
どんな風な考えと感じ方をする人がいるのか、マイノリティーと関わり続けて考えながら生きていけたらな。と思う。
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