湯川結衣

プロの厭世家、植木鉢、人間その他諸々です。 トプ画は僕の中で一番良かった天気です。 フ…

湯川結衣

プロの厭世家、植木鉢、人間その他諸々です。 トプ画は僕の中で一番良かった天気です。 フォローを是非。後悔はさせません。

ストア

  • 商品の画像

    名も無き宝石たち 4.『胎動』

    1,500円
    Me-Sabi
  • 商品の画像

    名も無き宝石たち 3.『傷跡』

    1,500円
    Me-Sabi
  • 商品の画像

    名も無き宝石たち 2.『螺旋』

    1,500円
    Me-Sabi
  • 商品の画像

    名も無き宝石たち 4.『胎動』

    1,500円
    Me-Sabi
  • 商品の画像

    名も無き宝石たち 3.『傷跡』

    1,500円
    Me-Sabi
  • 商品の画像

    名も無き宝石たち 2.『螺旋』

    1,500円
    Me-Sabi
  • もっとみる

最近の記事

  • 固定された記事

(小説)シュルレアリスム世界のショートショート

気持ちの良いある朝の出来事 これを正に、一寸先は闇と言うのでしょう。進んでいる先に一体何があるのか、私には分かりません。なぜ進んでいるのか、それすらも分かりません。今まで通ってきた後ろ側も、先程とは違う場所のように感じられます。ただ一つ分かることといえば、太陽は沈んでいることだけです。空気はスライムのようにネバネバしていて体中に絡みつき、行く手を阻んできます。しかしそれでいて私は、目の前に餌を置かれた動物のように、前へのめり込まずにはいられないのです。ベルトコンベアーに乗せら

    • 僕が今できる哲学の記録〜知的ドSと知的ドM〜

      「私」が哲学を「今」学ぶ意味は何か。私にはわからない。だから私は文化人類学に逃げたのかもしれない、と思うことがある。と同時に、哲学の自壊しそうな危うさをどこか感じ取り、レヴィ=ストロースのように人類学に希望を見出したのかもしれないとも思う。少なくとも、私は哲学を学ぶ「メリット」を考えたことがない。何か自分に活かせると学問の巨大な川からコップ一杯の水を掬って「これはこれは。」と良し悪しを判断する能力は私にはないし、自分の将来などに役に立てたいという希望から、学びに偏りが出てしま

      • 気づいていないだけで、エヴァンゲリオンに乗っている。操縦しているのは抑圧された14歳の主語。耳から主語が出て行かないように、ヘッドホンで蓋をする。前後左右上下全ての空気に主語が浸透していって、主語は主語でなくなる。鏡に映った主語ではなく、主語と同じ主語。主語ではない主語。主語が主語を見る。思考する。循環。永遠の循環。思考の暴走。そして破綻。酒が露出させるのか。正義執行。オノマトペ。最終兵器。枕詞。しどろもどろ。ロボット。具体化。会場。喪失。全体性。悪魔。しんがり。到来。勿体無

        • 洋服について

          久しぶりに自分についての話です。 色々な人と話しているうちに、どうやら私の服の選び方は他の人と比べて少し違うらしい、ということをしばしば感じているので、今回はそのことについて書いていこうと思います。 私はよく「洋服は好きだけどファッションは苦手」と言います。ファッションという行為には「コーディネート」という概念が重要視されます。コーディネートの詳しい意味についてはコトバンクをご参照ください。 コーディネート、すなわち服やアクセサリー、バッグ、靴などの全体性の調和というのが、

        • 固定された記事

        (小説)シュルレアリスム世界のショートショート

          +3

          最近の絵たち

          最近の絵たち

          +2

          ライフヒストリーとしての『オッペンハイマー』

          先日、映画『オッペンハイマー』を観てきたのだが、とても面白かったので今回は映画素人の私が映画批評をしてみようと思う。題名はライフヒストリーとしての『オッペンハイマー』である。ライフヒストリーというのは日本語訳にすれば「個人生活史」となる。今までの歴史学や社会学とは異なり、特定の人物について、手紙や伝記、インタビュー、日記などさまざまな視点から着目し、今まで学問の普遍性によって蔑ろにされていた「個人と社会の繋がり」や「主観から見た動的〈dynamic〉(⇔静的〈static〉)

          ライフヒストリーとしての『オッペンハイマー』

          分析的キュビスムの素描性とアナロジー

          この文章は大学のレポートを加筆修正したものです。正直読みにくい悪文です。独自性を謳いつつも、現在評価されているピカソの絵画に自分なりの解釈を加えただけであり、新規性はないと思います。ですが、割と内容は面白いかも。 私は国立西洋美術館で開催されている「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 美の革命」の展示されていたピカソ作『ギター奏者』を取り上げる。 この作品は1910年に発表され、初期キュビスムである分析的キュビスムに分類される作品である。同時期の作品としては『パイプ

          ¥0〜
          割引あり

          分析的キュビスムの素描性とアナロジー

          ¥0〜

          プロメテウスは戦争を肯定するか。

          まずはじめに この文章では、戦争行為を一部擁護、剰え肯定するような(ように見える)文言が含まれます。読まれる方はその点ご留意をお願いいたします。 そしてはじまり 2011年3月11日、東日本大震災によって福島の原発は甚大な被害を受けた。この事故を主なテーマとして扱った朝日新聞の記事に『プロメテウスの罠』というものがある。 プロメテウスはギリシャ神の王であるゼウスの命令に背き、火を盗み出して人間にそれを渡した。人間は当初万物の霊長となるために神の容姿に似せて作り出された

          プロメテウスは戦争を肯定するか。

          論理的正しさと倫理的正しさ。 一文字しか変わらないのに、全く異なる。 はあ。

          論理的正しさと倫理的正しさ。 一文字しか変わらないのに、全く異なる。 はあ。

          赤信号とパラレルワールド

          パラレルワールドというのは並行世界とも呼ばれる。以下はウィキペディアからの引用である。「パラレルワールド(Parallel universe, Parallel world)とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。」今生きているこの現実から分岐した異なる未来を歩む現実があるということは俄かにも信じがたい。 しかしながら私は、私たちが生きている現実の物凄く日常的な光景の中に、パラレルワールドが干渉してきていることを発見した。それはあまり

          赤信号とパラレルワールド

          寓話

          あるところに、神さまがいました。 この神さまはとても自分勝手で、ごうまんでした。 人間は生きていくために水が必要なのに、 神さまは意地悪なので、水を落としませんでした。 いったん、水を落としたと思ったら、 それは地面が飲み干せないほどたくさんで、 人間たちは、おぼれてしまいそうになりました。 神さまはたまに、地面をこちょこちょしたので、 地面はくすぐったくて、体をねじらせました。 けれど、地面のいる人間たちにとっては困りごとです。 すみかはぐじゃぐじゃに荒

          キュビスム展行ってきたので文章書きます。

          キュビスム展行ってきたので文章書きます。

          〈令和5年11月18日〉の詩

          汚れた部屋の中で私はとてもかっこよくなりたくて、私は気持ちの良い最後を向かえることはとても楽しい。 ぞんざいなしうちを受けているが私はかならず生きなければならないし、とても素晴らしいかっこうをしている。 ドレミファソラシドの快いひびきはすなわちガラス細工の造形のていを示していて、貴様のような奴隷には分からない。 どうでも良いことをどうでも良いというのはとても簡単だが、苦しいことでもある。 グルコースの傾きを構築しているのはあなたであり、剛傑な君である。 どうりでかな

          〈令和5年11月18日〉の詩

          全てのデペイズマンたちへ捧ぐ。〜シュルレアリスムの私的解釈〜

          デペイズマンとはシュルレアリスムという芸術運動における重要な方法論の1つである。コトバンクの説明を引用する。 デペイズマンを分かりやすく体験できる芸術家としては、ルネ・マグリットが挙げられる。 私はなぜかシュルレアリスム、特に具象的なデペイズマンの技法を使用した絵画が好きだ。しかし、なぜ好きなのかが分からなかった。作品の何かしらの力によって惹きつけられ、絵画を前に立ち尽くし、吸い込まれる。だが、その明確な理由は一向に分からない。一般的に、説明が不可能なことに対して魅力を感

          全てのデペイズマンたちへ捧ぐ。〜シュルレアリスムの私的解釈〜

          哲学専攻の限界大学生が、ハイデガーを雑に解説してみた。

          ハイデガーは19世紀〜戦後の西洋哲学の一大潮流であった「実存主義」の代表的な人物です。彼の哲学を一言でいうと「人が在るとはどういうことか」です。 彼は私達人間を人間ではなく、「現存在」と呼びました。現存在とは、他の存在者と並列に存在するようなものではなく、私自身の存在そのものが、私の存在を、その存在において了解している状況です。そして、現存在はいずれ必ず死ぬ存在です。そのことも、現存在の状態において自ら理解しており、いずれ死ぬと分かっていながらも生きている存在が、現存在です。

          哲学専攻の限界大学生が、ハイデガーを雑に解説してみた。

          「多様性」ほど多様な言葉も無い

          今回は「多様性」特に[性別の多様性:ジェンダー]の問題について、私の所感を述べる。人によっては、もしかしたら気分を害されてしまうかもしれないことを、予めご了承頂きたい。 ここ数年、多様性という言葉が世間であふれるようになった。近代〜現代までの人間の画一的で一方的な思考や行動を反省し、ポスト現代ではあらゆる個人や種を尊重し、保護していくことが良いことだと社会に合意された。国や宗教によってその進度に差はあるものの、確実に今まで社会的弱者であった人々に光が当たりつつあるし、人類に

          「多様性」ほど多様な言葉も無い