洋服について

久しぶりに自分についての話です。
色々な人と話しているうちに、どうやら私の服の選び方は他の人と比べて少し違うらしい、ということをしばしば感じているので、今回はそのことについて書いていこうと思います。
私はよく「洋服は好きだけどファッションは苦手」と言います。ファッションという行為には「コーディネート」という概念が重要視されます。コーディネートの詳しい意味についてはコトバンクをご参照ください。

コーディネート、すなわち服やアクセサリー、バッグ、靴などの全体性の調和というのが、ファッションでは重要です。服飾雑誌やInstagramを見ると「〇〇コーデ」という言葉をたくさん見かけます。暖色で統一されているのに靴だけ真緑だったり、妙にアクセサリーが多かったりすると、全体の調和が取れていない、つまりコーディネートに則っていないと言われたりするのでしょう。そしてそのコーディネートを定義するものが「ファッション」であると私は捉えています。ファッションショーだったり、インフルエンサーだったりが服飾同士の新たな組み合わせやデザインを共有し、それが名の通り「流行」として広がっていきます。ファッションによって定義されたコーディネートをうまく使うことが、一般的な洋服の着こなしかたと呼べるのではないかと思います。
そしてそのファッションのもう一つの重要なことが「人からどう見えるか」です。「着痩せ」「高見え」などはその代名詞のようなものですが、基本的に雑誌やInstagramは着ている様子を写真で共有し、それを見た他人が「かわいい」とか「おしゃれ」というふうに思って、それを真似したり参考にしたりします。ファッションというのは人から見られることを前提としています。
ですが私は少し違います。私は洋服の選び方を「ファッション」ではなく「コラージュ」概念と結びつけています。コラージュというのは、二次元の写真や絵の一部を切り取って、平面上に貼り付けて新しい作品を作り上げることです。私は服飾を自分の体にコラージュしているわけです。
この説明を聞いてファッションと何が違うのかということを疑問に思う方がいると思います。なぜ私の洋服選びはファッションではなくコラージュなのか、それは「調和を意識していない」「他人からどう見えるかということはどうでもいい」からです。
まずは一つ目の「調和を意識していない」について。私は服を選ぶときに「この服は持ってるあの服と合いそう」ということを一切考えず、ただその服が単体として素敵かどうかという観点で選びます。好みというのはある程度定まっていますから、結果として似たような雰囲気の服が集まることはありますが、それは「調和、一体感」ではなく、コラージュのように絶対に交わらない「切り貼り、寄せ集め」でしかありません。少なくとも私にとっては。
二つ目の「他人からどう見えるかということはどうでもいい」というのは、その文章の通りの意味です。ファッションというのは流行であり、それは時代によって解釈されるコンテクストが存在します。ですがコラージュというのは、実際の絵や写真から切り離された、コンテクストが廃絶されたもの同士の集まりであり、そこに歴史的な意味や価値は存在しません。私に世間のコンテクストは「関係のない」ことなのです。
以上が私の服選びの思考法です。ファッションではなくコラージュ。この考え方は明らかに自己満足ですが、私はそれで良いと思っています。
ですが、パリコレなどの先進的なファッションショーは、明らかに既存のコーディネート概念を打ちこわしに行っていますから、私のコラージュも、パリコレも結果的にアウトプットされる表象はどちらも「非ファッション的」と呼べるでしょう。ですから、もしあなたが個性的で誰とも被らない洋服選びをしたいと思っているのなら、意識をファッションからコラージュへ変容させてみるのはいかがでしょうか。まあそれはファッションなのかもしれませんが。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?