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言葉は生きているという話

突然だが私は物心着いた時から親に

“普通じゃない”

“個性的”

“変わっている”

“宇宙人”

と言われて育った。

母親が言うに私の知らないところでも他人からそうやって言われていたらしい。

変わっているやら普通やらの概念がわからない(今もわかっちゃいないが)時からそう言われ続けてきたために幼い時から私は変わってるんだという認識が自分の中でなんとなくはあった。

実際それは間違っていなかったようで、この約18年色んなところで変なやつだとか個性的だとか言われて避けられ続けてきた。

この呪いがより一層強固なものになるきっかけは
小5の時の担任の先生だと思う。

あまりにも嫌いだったためどんな容姿をしていたのか覚えてないが若い男性で細くて身長が高く、黒のクロックスをぺたりぺたり言わせながらだらだらと歩いていたことと眼鏡をかけていたことは覚えている。

その先生は周りの私が苦手な男子と同じような人だった。

平気で女の子にブスと言った。

なんでもないことでいきなり怒鳴り出した

全校集会で平気で寝た。

そして私のことを

「お前はみんなと違う 変な子や」

と言った。

親以外の大人からそのことを直接はっきりと言われたことは初めてだった。

その時、

私の持つこれは個性じゃなくて害なんだ。

個性というのは皆に受け入れられ認められる人じゃないと持ってはいけないものなんだ。

よく個性がある方がいいなんて言うがそれは
あくまで皆が考える常識の範囲内。

強すぎる個性はあっても非難される。
いらないもの。

実際個性的は変なやつの悪口の隠語だとよく言われるし。

個性なんていらない。

普通の子になりたい。

私はそう考えるようになった。


その呪いが少し解けるのは高校3年生の時だ。

あれから数年が経ち、私は高校生になっていた。
やっぱり“浮いた子”だった。

特に高1の頃は壊れる寸前だったと思う。

当時を知る人に
「1年の時は本当に生きながら死んでるみたいな顔をしてた」とか言われたくらいには壊れてたらしい。

見た目に出ていた実感こそないが
誰も信じられなかった。
すれ違う人みんな私の事見てるように見えた。
人の笑い声が怖かった。

そんなほぼ壊れかけのままなんとかギリギリの成績で進級した2年生の春にある国語の先生に出会う。

たしかその先生のいる職員室の近くで部活の勧誘ポスターを貼っているところに話しかけられたことがきっかけだったはずだ。

そんなしょうもないきっかけだったのになぜか話が弾んだ。さすが国語の先生。(?)
高校入ってこんなベラベラ喋ったことあったっけ?というか会って初日ってマジ?ってくらい喋った。

もちろん先生と私が仲良くなるのに時間はかからなかった。しょっちゅう会う度にくだらない話をしてた。
他の人に高校生らしい美しく準透明な青春エピソードはあるかと聞かれたら胸を張って先生の話をするだろう。
というか他にないが。
その先生は毎年3年生の国語科に就くことが多かったことから
古典か現代文かセンター演習かわからないけど来年は先生が何かしらの国語科の担当になるし先生と一緒に受験を乗り越えていくものと考えていた。

しかし世の中は上手いことできておらず、
先生の異動が告げられた。
バレンタインデーにチョコ渡しに行ったら伝えられた。
とんだバレンタインデーだ。
ずっと現実味がなかったし最後の日までタチの悪いドッキリだと思っていた。

時は経ち先生最後の出勤日

久しぶりに2人だけで色んな話をした。

学校の話

好きな曲の話

進路の話

先生の昔の話

そして私の昔の話。

自分の昔話をハッキリ話したのは先生が初めてだった。


先生は黙って私の話を聞いてくれた。

そして私にある曲を勧めてくれた。
“GOMESS/光芒”
https://youtu.be/rqqydUS84Qk

それまでラップなんてイナズマイレブンのOPとヒプマイとニコニコの歌ってみたしか聞いたことがなかったのでなんかYoYoチェケラ!俺は東京生まれヒップホップ育ち!地元の仲間と母ちゃんにマジで感謝!みたいなやつでしょ?くらいの軽い気持ちで聴いてみた。

聴き終わった時、込み上げてくるものの大きさに潰れそうになった。

まず自分自身のヒップホップ、ラップに対する勝手な偏見を心底恥じた。
薄っぺらいチャラチャラしたものなんかじゃなくてその人の人生が詰められた言葉だった。

次に「私でも生きていていいんだ」
「この生き方は間違っていなかったんだ」
と今まで否定され続けてきた人格や自分の人生をようやく肯定して貰え、
「あなたは1人じゃないよ、今まで頑張ったね。」
とGOMESSさんに言われたような気がした。

そして、

「この個性 人と違って突出した個性は私の武器なのだから 自分に自信を持ち 強く強く生きていこう」

と自分の新たな1歩の背中を押してくれた。


狂っているのは確かに俺の方かもしれない。
それでも俺だけは俺を見捨てちゃいけない
その普通って要はみんなと同じってことだぜ?
お前も俺もそうじゃない。
奇跡を茶化すなよ。
最悪な日々から学んだ生き方は
奴らの既知外の中にある
前例も前提もいらない ただの1歩目だ

(GOMESS/光芒より)

今までこんな人生だったけど
実際こんな人生だからこそ経験できないことが沢山あっただろう。
私は強い。大丈夫。そう思わせてくれた。

GOMESSさんとその時一緒に勧めてくださったMOROHAからポエトリーリーディングにハマった。

MOROHA/革命
https://youtu.be/3KveaY7elkU

元々詩集を買うほど詩が好きだったがこんなジャンルがあることは全く知らなかった。


そこから暫くしてMCバトルとかCreepy Nutsとか梅田サイファーとか色んなMCの方や楽曲出会い、気づいたら日本語ラップにズブズブとはまっていった。

ビビりで陰キャの自分が1人でクラブに行ったりした。
めちゃくちゃ楽しかった。


先生の話とか日本語ラップの話とか初めて行った現場の話とかもっと沢山したい。が別の機会までとっておく。

今でもまだ自分が人とズレていて違うと思うし個性なんかいらないと思うし人の笑い声が怖い。
自分に自信なんてないし自分の事が世界で1番嫌いな人間は自分だと確信しているほど自分の事が嫌いだ。

でも私は自分の人生に誇りを持てるようになった。
それにほんの少しだけだけど自分のことをすきになることが出来た。

教師の言葉にかけられた呪いを解いてくれたのは教師に勧めて貰った言葉だった。
人生って上手くできている。(さっき人生って上手くできてないって言ったよな…?)

先生はきっとこんなノート見てないと思うけど
先生に教えていただいたからこそ今私は生きている。先生には勉強の事だけじゃない 本当に大切なことをいくつもいくつも教えて貰えた。

そしていつかGOMESSさんにお会い出来る機会がもしあるならば
私はあなたのおかげで今生きています
あなたのおかげで自分自身を大切にできるようになりました
と伝えたい。

どう考えても危ないファンだと思われるが
この感謝を伝えられずに終わらせたくないから絶対に いつか伝える。 当面はこれを人生の目標と生きる糧として生きていきたい。

言葉は人を変える。

良いようにも悪いようにも。

もしかしたら
小学生のあの時先生が私に言った言葉も
普段お母さんが私に言うのと変わらないノリで
軽くいった何気ない事だったのかもしれない。

この文を書いている時、
私が最初に書いた 言葉一つ一つは生きているという考えは間違いではないとはっきりと思うようになった。
だからこそ 自分もその言葉を大切にしたい。

それが誰かの発する言葉に魅了された人間として
できる僅かなことでは無いのだろうか。

この文を書こうと思ったきっかけは高校生活最後の定期テストが終わり、登校日数もどんどん減る中で自分に対する解像度をきちんと上げて 過去と向き合いたいと考えたからだ。
そんな時にnoteを読んでいると“君のことばに救われた”というお題で作品投稿する特集が組まれていたのを偶然みつけ、これはもう書くしかないなと確信した。
そして何も無く真っ黒に澱んでいたと考えていた高校生活を少しでも前向きなものとして捉えたかったからだ。

こんな長いまとまりのない文を最後まで読んでいただいてありがとうございました。

12/15
一部誤字・抜け字等加筆修正しました。

《追記・報告》
今日その先生に会った!9月の文化祭以来!
さすがに先生にnote見たかなんて恥ずかしくて聞けなかった。
久しぶりにリアルで同じくらいの熱量で趣味の話をすることが出来た。

同じトーンで同じ趣味の話をできる人の存在は
本当にありがたい。

久しぶりに先生と二人で話してやっぱり自分はあの人のどう見てもぽや〜ってしてるけど実は誰よりも人のことを考えていて前向きで熱いところを尊敬しているしあんな優しい人になりたいなって思ってる事を痛感した。

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