見出し画像

優しいところが好きなのは

祝日の東京駅の八重洲口は最高だ。スイスイ歩ける。わたしは総武本線からなんとか地下街に這い上がり(まだ地下)、たくさんのスーツケースを持つ人々の間をすり抜けて、やっと八重洲側に辿りついた。なんと空いていることよ。

がらがらのスタバ、タピオカ屋、列をなしていないローソン。祝日の八重洲地下街の朝はスイスイである。これは祝日に出勤しているわたしが知っている秘密である。それほどのものでもないかしら。いや、わたしにとってはとっておきの秘密。大っぴらに書いてしまったけれど。

地上に出ると、さらに清々しい。いつもは急ぎ足のサラリーマンで埋め尽くされているこの道も、このコンビニも、自由に歩ける。いつもは負けじと早歩きをするわたしだけれど、今日はゆっくり歩いているわたし。いい気分。コンビニのおにぎりのショーケースの前でゆっくり選べる。右にずれたり、左にずれたりしなくていい。真ん中に立って、上から下まで、右から左まで選べる。うーん、嬉しい。

前から外国人カップルが歩いてきて、小・中・大の3つのスーツケースをもっていた。男性が小さいのと大きいのを、女性が中くらいのをひとつ。それでも女性はよろけていて、男性は自分の手に持っていた小のスーツケースを女性の持っている中のスーツケースと交換した。女性は申し訳なさそうに、でもホッとした顔をして、笑顔でお礼を言っていた(声は聞こえなかったけれど、多分言っていた。)

優しい。優しいなあ、と思って嬉しかった。自分がされたわけではないのに、男性が女性を想う気持ちというか、気遣いというか、ふたりの雰囲気とか、そういうこと全部が優しかった。愛おしい気持ちになった。優しいっていいよね、とやっぱり思う。

ちょっとどうでもいい話(ただの惚気話になる可能性がある)になるが、「旦那さんのどこが好き?」とよく周りのひとたちに聞かれて、わたしは「優しいところ」と言う。夫はその答えにいつも少し不満そう。「優しいなんて他に言うことがない時に言うやつだよ。」とのこと。

わたしはそうは全く思わない。世の中には優しくない人ってたくさんいる。意地悪な人がいるし、意地悪なことを言ったりやったり、思ったりしている人がたくさんいる。子どもながらに見てきたこととか、大人になりかけた頃やられたこととか、自分の心に持っちゃったこととか、たくさん知ってる。

夫にはそういうのが一切ない。もちろん夫の心の全部を知ってはいないのだけれど、自分が良ければそれでいい、という考えが本当に一切ない(ように見える)のだ。いつも誰かのため、誰かを優先して、物事を考える。わたしはそういう夫を心から尊敬しているし、愛している。優しいというのは本当に素晴らしいことで、誰にでも出来る事ではないと心底思う。そしてそれがいつもできるということ、これがどれほどすごいことであるかは、言葉では説明できないようなことなのだと思う。

優しくされるたびに、わたしのなかにも優しさが生まれる。生まれた優しさはわたしの元を離れて、誰かのもとへ届いて、また優しさを生む。夫はこの連鎖をまずはじめに作れる人なのだ。優しくしてくれるから好き、なのではなくて、優しさを心にいつも持っているところがかっこいいと思っていて、わたしはかっこいい人が好きだから、だからあなたのことが好きなんだよ。わたしだけではなくて、地球に、周りに、みんなに優しい夫がわたしは大好きなのである。夫よ、最高だぞ。

ゆっくりおにぎりを選び、コーヒーを買って、職場へ向かった。いい朝だった。いつものことと、いつもはないこと、1回しか見れないもの、そういう景色が日常には織り交じっている。どれも愛おしくて、どれもとっておき。こういうことを考えているとき、生きているって感じがする。

とんでもない頭痛に目が覚めて、このまま死ぬのかもって思う夜があった。どうしても痛くて、どうしたらいいか分からなくて、痛いと言って泣いた。声を出して。そしたら夫が起きて優しくわたしの頭をさすった。「大丈夫、首ごと交換してあげるから。」と。そんなこと出来るわけないじゃないかーと思ったけれど、不思議とホッとしてしまった。それは命をかけて守るから、という言葉に近い、そういう力強い表現だった。もちろん寝ぼけていて、夫はそんなこと覚えていない。

誰かが守ってくれるのだという安心感はなににも代えがたいもののひとつだと思う。そうしてそれはこの目まぐるしい世界で生き抜くためには必要な感情なのだと思う。

わたしの場合、その感覚はずっと親がくれた。愛され自慢をしたいわけではないけれど、本当にそうやって生きてこれた。わたしは死なない。このひとたちがなにがあっても守ってくれるんだ、ということがわたしを生かしてくれていた。でも少しずつ、親はわたしより弱い生き物になっていくのかも知れない、と思った。病気をしたり、ちょっと風邪をひいたり、弱っている姿を見て、もう守ってもらえないかも、と思いはじめていた。そんなときに夫がかけてくれた言葉に安堵したのかもしれない。


夫の話ばかりになってしまった。こういう人間なのだ。自分の周りにある素晴らしいのだよ、ということを声を大にして言いたい人間なのである。

でもあまりにもいい朝の空気だった。なので書きました。わたしはゴールデンウィークは仕事だけど、世の浮き足だった雰囲気はやっぱりいい。世界が回ってるって感じがする。

見に来てくださりありがとうございます^^これからも心のままに、言葉を大事に、更新を続けます。サポートいただけたらとてもうれしいです!