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星のや東京 | 一番近くて、一番遠い

実家に帰ると父がいつもどおりソファで寝転んでいた。テレビを見ながらウイスキーとつまみを。ハイパービジーサラリーマンだったのに、今や心ゆくまで夜更かし。これが父にとって至福のひとときなら、とても嬉しい。

他愛もないことを話しながら、わたしは肩こりが気になって首を伸ばしたりしていた。「肩、揉んでやろうか。」と言われ、流石に60過ぎた父親に20代の娘が肩揉みしてもらうのも気が引けて遠慮がちに断った。それでも父は「座りなさい。」と椅子を指し、肩を揉んでくれた。父の力強い指の力が少しずつわたしの凝り固まった筋肉をほぐしていった。「もういいよ。」と言わなきゃと思いながら、気持ちよくてしばらく揉んでもらった。

いつかこのときのことを思い出して、きっと泣いてしまう。(こんなようなドラマのタイトルあったな?)そんな出来事だった。父、ありがとね。

大人になって家族旅行は滅多にしなくなった。週末に訪れるお休みは両親のために使われることなく、友だちや夫、自分の時間へと消えていく。いつかきっと、あの時もっと出かければよかったな、などと思うのだろう。そういうことは一丁前に分かったようなつもりでいる。


最後に家族でした旅行はたしか、コロナ禍の近場旅行。わたしたちは大手町のたくさんのビルが立ち並ぶ中に佇む日本旅館「星のや東京」に泊まった。その頃は実家で暮らしていたので、実家がある埼玉から大体1時間ほど。

あの頃はとにかく遠出をするな、不要不急の外出をするな、同居人以外との接触禁止!など、たくさんのメッセージが世界中を駆け巡った。何も分からないわたしたちはそれを信じて、疑って、迷って、たくさん混乱した。少しずつ動いていい範囲が広がっていった。石橋を叩いて渡るような作業をみんなが必死にしていた。そうやってわたしたちは、外へ出かけることの楽しさを、人と会うことの喜びを、家から数時間の中にある魅力を発見することを覚えた。


母と一緒にお風呂に入るのはいつぶりだろう。そんなことを考えながら、星のや東京の最上階にある大浴場へ。東京でも珍しく、自家源泉である。地下1500mから湧き出る塩分濃度の高い強塩温泉。保温効果がとっても高いらしい。

まだ昼間だということもあり、母とふたりきりの貸切状態。さっきまで満員の電車に乗っていたのに、もうここは別世界。都会の喧騒からはかけ離れた、静かで穏やかな時間が流れる。大浴場は最上階にあるため、半露天になっている外風呂からは空がよく見える。青々とした空と余計なものが何も入ってこない空間。外の世界では人々が見えない敵に翻弄され、見えない明日に、変わっていく日常と戦っていることを忘れてしまうような、そもそもそんな世界が本当はないのではないかと感じるような、不思議な気持ちになった。

温泉から戻ると、父と弟はもう出ていて、お茶の間ラウンジでくつろいでいた。星のや東京には「塔の日本旅館」というコンセプトがある。フロアごとがまるでひとつの旅館のようで、それが縦に連なっているのだ。各フロア全てにお茶の間ラウンジがあり、思い思いのままに使うことができる。お茶菓子や、ドリンク、本、あそびものが多種多様に置かれている。

お茶の間ラウンジ


お茶の間ラウンジや、ロビーで振る舞われる日本酒の飲み比べなどを楽しんでいると、楽しみにしていた夕食の時間になった。今回、一番楽しみにしていたこと。星のや東京で食べられるのは「Nipponキュイジーヌ」という様々な食材にフレンチの技法を融合させた、ここでしか味わうことの出来ないフルコース。

一皿、一皿、丁寧にユニークに盛り付けられたにわたしたちの心は奪われ続けた。みんなそれぞれ好きな種類のお酒を頼んでゆっくりと食事をした。味の好みがみんな違くて、食べるペースもみんな違くて、家族なのにみんなやっぱり違うんだなあ、なんてことを思ったりした。

Nipponキュイジーヌ

それぞれが、それぞれの道を歩んでいるのだ。家族だけれど、もうみんな、みんなが知らないところで笑ったり、泣いたり、怒ったりしている。

好きなものも、心動くものもきっと違うのに、家族はこうして時々一緒に集まって、みんなが道のどの辺りにいるのか確認し合う。それで、頑張れを送り合う。家族はひとつの人生を、それぞれの人生をみんなで歩んでいるのだと思った。

久しぶりの家族揃っての食事の時間はやっぱり特別。ほろ酔いでそんなことを考えながら、たくさんの時間をかけて食事をした。父は上機嫌で昔話をたくさんしていた。

食後、母が「もう一回温泉に入ろうよ」と言うので夜の浴場へ。昼間とはまた違う雰囲気の温泉。視界が暗くなる分、肌に触れる湯の柔らかさがよく分かる。身体の芯からじわりと温まる。空には星が見えた。東京の空にだって、星はある。

まるで普段リビングに集まるように、お茶の間ラウンジに集まってなんてことのない話をした。日付が回り、それぞれの部屋へ戻った。

翌朝は天空朝稽古へ。地上160mの隣のビルの屋上で、身体をすこしずつ目覚めさせる。大きくひらけた東京の空を身体いっぱいに感じて、今日のエネルギーを溜める。毎朝、こんな風にできたらどんなにいいだろうと思うけれど。たまに、だからこそ感じられることもあるのかもしれない。

天空朝稽古

朝ごはんを食べて、各々の時間を過ごす。午後に用事があったけれど、帰る時間を気にしなくていい。近場旅行のいいところ。チェックアウト前にもう一度温泉に入り(計5回目。笑)星のや東京をあとにした。

白檀の香りが心地よい玄関を抜けて、いつもの東京に戻った。青森ヒバの一枚板の扉が閉まり、ふと我に帰ったような気持ちになった。 

違くても、知らなくても、しばらく会っていなくても、目指してるものが違くても、わたしたち家族はチームだ。いつでも想い合える。

学生だった頃は、それが鬱陶しくて、面倒くさくて、放って置いてよ、なんて言ってはその手を振り払った。父と母は、わたしのことを放って置いてくれた。でもいつも近くにいてくれた。想いながら、口を出さずに、信じてくれていた。それがどれほど深い愛情だったかということが今なら少しだけ分かる。

東京は、近くて遠い、そんな場所。家族みたいに。いつもそこにあって、いつでも受け入れてくれて、いつでも居場所をくれる。でも実は、特別で、大切で、ちょっと緊張もして。そして居心地がいい。近くて遠い、そんな場所にきっとわたしは何度だって帰るだろう。


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