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私の過去

今から綴ることは私の過去の振り返りです。

私は2002年9月18日に生まれました。
名前は父方のおじいちゃんが命名してくれました
私は7人兄弟の長女として生まれました。

私の人生が狂いだしたのは小学校4年生10才の時でした。

父は調理師、母は美容師をしていました

ある日
父がうつだと偽り仕事をしなくなりました。
病院での検査でチェックリストを書くことになり全ての欄を偽りの回答で答えたそうです。

父は、毎日パチンコ、ゲーム、寝るを繰り返していて病院から処方された睡眠薬を飲んで寝ていました。毎朝寝起きが悪く、私たちに毎朝、毎朝暴力を振るうようになりました。

私の兄は私の父と血は繋がっておらず、前の旦那の息子というだけで嫌われていました。私たちにする暴力よりも酷い暴力を受けてました。

幼いながらも兄を助けたかったのですが、どーしても歯向かうことが出来ませんでした。

我が家のルール
・絶対に敬語で話すこと
・親に歯向かえば殺されると思うこと
このふたつが私たちの家での決まり事でした。

この後、兄への虐待が公になり父は、刑務所に3日ほど入りました。父が刑務所に入った夜、兄は児童相談所の人と話し合いをして、明日児相に行か無ければならないということに決まりました。

その日は家族みんなで泣きながらお兄ちゃんを引き止めてどーにかこれから頑張って行けないかを世が明けるまで話し合いました。

しかし、現実はそう甘くはなかったようです。

次の日、兄は児童相談所の方と一緒に出ていってしまいました。

その後、両親は離婚をし母が1人で5人育てることになりました。
母には辛い思い、きつい思いをさせたと思います。なんの家政にもなれない小学生でした。
母は夜な夜な仕事に行き朝方に帰ってくるという日常を送っていました。

母が居ない間は私が仮の母親になるため、弟や妹の世話を一生懸命しました。

そんな幸せいつまで続くか分かりませんよね?
そんな時に私たちは壮絶な体験をする事になります。

住んでいたアパートが全焼しました
原因は、弟たちの火遊びです

その日は12月18日真夜中の12時頃だったと思います。
いつものように金曜日ロードショーを見て寝ようと思っていたら、私はこたつでうたた寝をしてしまいました。いつもなら弟と妹を先に寝かせるのにこの日だけは先に私だけ寝てしまいました。

急に寝床についてるはずのない灯りが見えました。
「あれ、なんであの部屋明るいんだろ。電気付け替えたかなぁ」とか考えながらもう一度寝ようとした時に、はっ!と飛び起きて寝床を見に行くとなんと目の前には、天井まで届くくらいの火がついていたんです。

(あ、この火は私だけじゃ消せない。)
そう思いました。なぜなら、学校の避難訓練で天井に付くくらいの火は自分の力では消せないと学んでいたからです。家には消化器もありませんでした。

私は慌てました。しかし、(下の子たちを守らなきゃどうするんだ)と思いとりあえず叔母に電話をかけて救急車や消防、警察に電話してもらいました。

その日は母は仕事でした。
(私が長女だからしっかりしなきゃこの子達まで死んでしまう)私は死んでも良かったのでこの子たちだけでも助けようと思い避難させました。

避難は無事に終わり、アパートの住人もその周りの方々も全員無事でした。

母は、仕事場から家まで全速力で帰ってきて、私たちの顔を一人一人見ながら「みんな無事で良かった」と泣きながら私たちの前に崩れ落ちました。

私はあの出来事が無ければ、避難訓練など必要無いと思っていたはずです。
学校で学んだことが活かされた。
兄弟を守れた。
私は、立派な責務をこなしました。

余談ですが、
あの日見ていた金曜日ロードショーなにか気になりませんか?
「カールじいさんの空飛ぶ家」です。
この映画見たことある人はわかると思いますが、家が燃えるシーンがあるんです。

私たちはこの映画に呪われたんだー!って当時思ってました笑でも、今でもこの映画だけは見れません。あの日のことを思い出してしまうから。

皆さんもそういう映画ありませんか?


ここまで読んでいただきありがとうございます

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