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エッセイ / あなたのその涙、わたしのものに

他者に心から自分のことを信じてもらって、肯定してもらって、それでやっと自分のことを信じてあげられるようになる。自分に自信が持てるようになる──そんな経験をしたことがある人は、きっと少なくないはずだ。私もそんな経験を経て、少しずつ自分に自信が持てるようになってきた人間の一人である。

でも最近、他者に信じてもらう以前に、そもそも圧倒的な自分の味方として、自分という一人の人間がずっと存在しているじゃないか、ということにはたと気がついた。

ちょっと変な話かもしれないが、他者である【Aさん】と【自分】とは、変わらない重みを持つ「人間ひとり」なのだということに、今更ハッと気がついたのである。だから他者に肯定してもらわずとも、自分自身はずっと自分の味方なんだってことが心から理解できたら、もうそれだけで、自分に自信が持てるようになるんじゃないかと、思うようになった。

そう気づいたきっかけは、ひと昔前に流行った「Jupiter」という歌を聴いたことだ。

Jupiterの歌詞には、こんな一節がある。

私を呼んだならどこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

当初はこの歌詞を味わいながら、「私に対して、心からこう思ってくれている人たちがいるんだよなぁ……あの人と、あの人と、あの人と………」という具合に、私の涙を自分のことのように受け止めてくれる人たちの存在に思いを馳せて、その心強さに泣きそうになっていた。(すでにお察しかと思うが、私は楽曲の歌詞にめちゃめちゃ感情移入をするタイプである。)

でも、曲を何回もリピートするなかで、ふと思った。私という一人の人間は、いつでも私のためにここにいるんじゃないかと。いつでも私の涙を自分のものとして受け止めて、圧倒的に私の味方でいてくれるじゃないかと。

私自身はいつだって、私の味方として私のそばにい続けてくれたこと。その事実と、その心強さに、今更気がついたのだ。

自分はいつも自分のそばにいるだなんて、そんなの当たり前すぎて、心強くもなんともない。そんなふうに思う人もいるだろう。私も少し前までは、そう思っていたと思う。

でも、例えば私が誰かを心から信じてあげることで、その人がその人自身のことを信じられるようになる、ということもあるはずで。それくらいのパワーが、私ひとりにもある。だとすれば当然、私はそのパワーを自分のために使うことも、できるはずなんだ。

「『自分』で自分を見つめ、なだめ、振り返り、寄り添い、そしてまた信じる。それが広い意味での『自家発電』なんだ」と、尊敬する人からかつて教わったことがある。

そう教わってからも私は長らくの間、うまく自家発電ができるようにならなかった。凹んでしまうような出来事があっては、誰かに頼り、外側からエネルギーを調達していた。

でも、前述の気づきを得てからは、徐々に自家発電ができるようになってきた気がする。もしかしたら、こうして「自分」という存在の重みと心強さを実感することが、自家発電の第一歩なのかもしれない。

Jupiterがリリースされたのは2003年、私がまだ小学生だった頃だ。歌詞もメロディもなんとなく覚えてはいたけれど、そこに込められた意味は、当時は当然理解できていなかった。

この歳になって改めて聴いてみると本当に良い曲なので、みなさんもぜひ、聴いてみてください。そして、自分という存在の重みと心強さに思いを馳せて、味わってみてください。



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