レビュー / 映画『あゝ、荒野 前篇』人生という荒野の絶望と、それゆえの希望 ★4.2
生きるってことがあらゆる角度から、それでいてど直球に、はんぱない熱量で描かれていて、重厚感ありすぎな映画だったし、つまり私が大好きなやつだった。
▼あらすじ
友の裏切り、貧困、父からのDV、吃音、周囲からの蔑み、孤独、嫌なことばかりで絶望しちゃうような人生。でもやっぱり、そうしたどん底を見つめて、味わってこそ生きるってことが本当にわかるようになるんだと思う。相反するように見えることは、実は全て表裏一体。死を見つめてこそ、生を全うできる。そんな気がするよ。
そんなどん底にいた新次と健二がのめり込むからこそ、ボクシングがただのスポーツじゃなく、生きるための切実な営みに昇華される。日々のトレーニングも、試合に勝つためというよりも、自分が今日も生きていくためにやっているような印象を受けた。そんな切実さがあった。無目的に、ただ、自分が生きるためにやる。そういう営みには、本当にパワーがあるし、惹きつけられるなぁと思う。(私がこうして映画のレビューを書くのも実は、私にとっては生きるための、無目的な、切実な営みだったりするのです)
人生という荒野。荒野=荒れ果てた絶望の地、というイメージがあるけど、むしろ希望に溢れた場所、とも捉えられるのだと、つい最近知った。それは作家の江國香織さんの「恋愛って荒野なのだと知って、とても救われた。正解がないからこそ、自分のやりたいようにしていいんだって思えたから」みたいな言葉に出会ったのがきっかけ。うん、本当にそうだなぁと思うのよ。人生には正解があると思って長らく生きてきて、でも人生には正解なんてないと知って、進むべき道がわからなくなって絶望して、でもその後、正解なんてないのだということに救われる。私もそんな過程を経てきたなぁと。
新次と健二のストーリーと並行して描かれる、自殺というテーマを探究する学生たちの姿も含めて、死を通じて生が、絶望を通じて希望が、描かれている作品だなぁと思った。
「この世界では、一番憎んだ者にチャンピオンの称号が与えられる」
新次も健二も対戦相手を憎むことによって闘争心を燃やそうとする。でも個人的には、憎むこと以外に何かを見出して、二人が人を憎むことから解放されて、生きる希望に繋がっていくラストが見たいなぁ〜
前後編映画って観るの初めてだけど、こうやって自分なりに望む展開が考えられるの面白い。
「ああいう場所がないと滑り落ちそうになるんだろ?」
滑り落ちそうになる自分を留めておくための、"世間一般的な"営み。必要だよね。荒野は希望に溢れた場所だと、一度思えたとしても、そのあまりの自由さがかえって苦しくなったり、不安に襲われることもある。だからこそ、共同幻想としての"世間一般的な"営みに参加するってことが、自分の冷静さを保ってくれることってあるよなぁと思った。うまく使いこなせるなら、それは悪いことじゃないって思う。
「堀口ィ、毎日面白えな」
そう思える仕事っていいよなぁ。いや、仕事に限らず、そう思える人生だったらいいよなぁ。そういう人生にしたいな。
ユースケ・サンタマリアってこんなに格好良かったんですか??勝手に三枚目俳優だと思ってましたごめんなさい、サングラスからチラリと覗く目の色気、やっぱり細身の人って好きよ……
『百円の恋』がまた観たくなる。人が生きるということのはんぱない熱量、生命力、に触れられる作品がやっぱり好き。
後篇も楽しみだーー!!早く観たい
2022年3本目
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