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SNSで起きる議論の不思議

はじめに

ご覧いただきありがとうございます!仙波です。
この前、『具体と抽象 ―世界が変わって見える知性のしくみ』という本を読んで下記の記事を書いたのですが、そこで学んだことが象徴的に現れている出来事があったので、それを今回の記事で紹介します。

噛み合わない議論

その出来事というのが、下記の切り抜き動画です。
短い動画ですので、もし良ければご覧いただき感じたことを言葉にしてみてください。そしてその後、この動画のコメント欄をご覧いただき、そこでも感じたことを言葉にしてみてください。

いかがでしたでしょうか?
おそらく客観的な目線でコメント欄をご覧いただいたかと思うので、なぜここまで議論が噛み合っていないのだろうか、と感じられたのではないでしょうか。このような議論は日々さまざまな場所で昔から行われている、いわば「永遠の議論」とも言えます。

実はこのような議論には、往々にして重要な視点が抜けています。そのおかげでいつまでたっても「永遠の議論」は噛み合わず、多くの人は無駄な時間を費やされているのです。

その重要な視点が、まさに「具体と抽象」という視点なのです。「具体と抽象」というのは、「目に見えるもの(こと)と目に見えないもの(こと)」「表層的事象と本質」といった言葉にも置き換えられます。
このような視点で、つまり「抽象度のレベル」が合っていない状態で議論している(両者が気づいていない)ために、噛み合わない議論が後を絶たないのです

今回取り上げた動画で言えば、「人間の能力は大した差がない(抽象)」ということの具体事例として「世界一と一般人の100mのタイムの差はせいぜい5秒程度しかない(具体)」という例を引用したという構造になっています。
※例が適切であったかどうかはこの場で一旦置いておきます。

この時の話者の主張は「みんなできることをやらないだけだ。なぜなら人間の能力は大した差がないからだ。(つまり、やるかやらないか)」です。
※私の解釈

一方で「5秒の差がどれだけ大きいか」「コンマ何秒で戦う世界」など具体事例に対するコメントも多く、それに返信する形で噛み合わない議論が巻き起こってます。どちらが正しい、どちらが間違っていると言いたいわけではなく、なんなら、どちらの意見も見方によれば正しいと思います。

しかし、問題は「抽象度のレベルが合わない」状態で議論を行なっているということです。今回は、正直どうでもいい切り抜き動画を取り上げてますが、これが会社や各々が所属する組織、個人間でのコミュニケーションで起こっていたらどうでしょうか。誤った意思決定に繋がったり、ミスコミュニケーションによって軋轢が生まれたりする可能性があります。

だからこそ、「具体と抽象を扱う力」が必要であり、「抽象度のレベル」を合わせるための相手への配慮が必要となります。

まとめ

今回は、私がたまたま見かけた動画で感じたことを元に記事を書かせていただきましたがいかがでしたでしょうか。

個人的には、そもそも前提を揃えにくいし、勝手にさまざまな解釈をされてしまうSNSでの議論は苦手なのですが、一方で意識しないと日常生活や仕事にも現れる可能性のある問題だと感じたので、このような記事を書いてみました。
今回の動画に対する私の解釈も必ずしも正しいものではないと思いますし、色んな解釈があると思いますので、皆さんなりに考えるきっかけにしていただければと思います。

今後も定期的に本の感想や日々の学びをシェアしていく予定ですので、もしよろしければ「スキ」と「フォロー」をしていただければ嬉しいです!!
よろしくお願いします!


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