【万葉週話64】春と秋、どっちがいい?の歌
こんにちは、答えの出ない論争を見るたび
「きのこの山と、たけのこの里、どっちが美味しい?」
の問いを思い出す、絵本&万葉作家のまつしたゆうりです。
ちなみに皆さんは、きのこ派、たけのこ派、
どっちです?
きのこ派の人は、軸のカリカリ感。
たけのこ派の人は、土台のサクサク感が好きなのでは…と
「チョコの味的には一緒(だと思う)のに
味が違うように感じるの何で」
と不思議に思っています…。
これも良く考えると、たけのこ=春、
きのこ=秋と、春秋論争のひとつですよね?!(笑)
源氏物語でも話題になっているこの論争。
1300年経っても答えの出ない話に、
ズバッとお答えの歌を出しちゃってるお歌が
なんと万葉集にはあります!
その様子が本当に見事だな、
神対応っぷりが人間関係にも言えることだなあと
ビビビッと響いたお歌をご紹介します。
額田王の判定
万葉集の女性歌人の中で一二を争う歌上手さんの額田王。
(勝手に争わさせられているのは大伴坂上郎女ねえさん)
公的な場で歌を詠むこともあったのですが、
今回の舞台は琵琶湖のほとりの近江大津宮。
天智天皇の催した歌会の場、
男性諸氏が漢詩にて「春と秋どちらが良いか」を
詠みあったあと、中臣鎌足さんが額田王に
判定する歌を詠むように言ったそうなのです。
その場に呼ばれたいろんな人が
それぞれの立場、思いで
春の良さと秋の良さを歌い上げているんですよね。
そこに、判定をする歌を詠むようにと言われ
どう詠むか。
どちらが良い、と言っても角が立ちそうなもの…。
ここで額田王は「判定の歌」を詠んだ上に、
場をまるくおさめています!
それがこのお歌
万葉集 16 額田王
冬ごもり 春さり来(く)れば
鳴かざりし 鳥も来(き)鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど
山をしみ 入りても取らず
草深(ふか)み 取りても見ず
秋山(あきやま)の 木(こ)の葉を見ては
黄葉(もみち)をば 取りてそしのふ
青きをば 置きてそ歎(なげ)く
そこし恨めし 秋山そ我(あれ)は
(訳)
春が訪れると
今まで鳴かなかった鳥も、来て鳴きます。
咲かなかった花も咲きますが、
山が茂っているので、分け入って取ることもせず、
草が深いので、手に取って見ることもありません。
けれど秋山の木の葉を見ては、
色づいたものを手に取っては愛で、
青いものはそのままにして溜息をつきます。
そこが残念ですが、
秋山こそ、と思います、私は。
春と秋、それぞれの良い点と残念な点を挙げたあと
「私は秋」と言い切っているんです。
これのどこが良いかというと
まずどちらか一方だけに肩入れしているのではないということ。
どちらも良い点、残念な点があり、
平等な目線を向けている。
けれど「私はこっち」と、最後に
主観的な「私は」だけを述べているのが本当に見事で。
これ、最後が「秋山そ良し」と続けることも
出来たんですよね。
でも「私は」だけで終わっている。
すべてを言い切らず、余白を持たせること。
その余白が緩衝材になり、人との障りが少なく
済むことってあるのかなあと思うのです。
余白の美
余白の美、というのは日本文化では重要なポイントのひとつかと思います。
背景がぼやんとぼやけて、描ききらずにある。
霞でやんわり繋げてある。
日本語がそもそも、主語が無くても通じる構造になっていたり、
余白を想像してもらいつつコミュニケーションをとる
ことが多いようにも。
これがあるからこそ、ぶつからないけれど
これがあるゆえに、本音が見えなくてもどかしくなることも…。
見えないからこそ、見たくなる。
「見るなの禁」が古今東西の物語に登場するように
この欲は誰しも持ち、焦がされてきたのでは…?!
見えないからこそ、想像する。
それが「心を推し測る」ということでは思います。
歌は心を覗く鏡
「人の気持ちを推し量る」ことを
“するように”と教えられてきたし、
円滑なコミュニケーションのため
皆さん自ら努めてこられたはず。
私も苦心惨憺しながらも、
日々見えない“相手の心”と格闘してきました…。
でも、「本当に気持ちを推し測れてるのかな?」
と、不安になることってありますよね。
上辺の、なんでもないことなら
「こうかな?」の予測通り上手くやりこなせても、
相手の心の深度が増すほど、
深海のように視界が効かなくなり、もう手探り状態。
怖くて言えなくなったり
分からない!と放置したり。
的外れな推測をしては勝手に傷付いたり…。
「気持ちを推し測る」ことで、ゆえに、
いろんな怪我を“勝手に”しているんじゃないか…?!
と、自問自答したくなることも。
でも、だからといって、ズバッと言えない。
きっと心の奥、深く深くは
本人にも掴みきれていない部分や
見ようとしていない部分、
認めたくない部分など
闇鍋のようにぐっちゃぐちゃになっていて
そこに手を入れるようなものなのかもしれないなと
ふと思うのです。
なので、タイミング次第では
貴重な深海魚が釣れることもあれば、
危険な巨大イカに噛まれちゃったりなんか
するのかもしれないなあと…。
「そんなの見なきゃいいじゃない」
って思うけれど、「好き」や「興味」が増えると
どんどん知りたくなっていくもの。
より深い部分までさらけ出すことで仲良くなることも、
それで決定的に違うと気付いて壊れることもある
諸刃の剣のような…。
どこまで踏み込むか、永遠の悩みどころですよね。
そして相手の闇を覗こうとするとき
自分の闇も同じだけ見えてくるもの。
「ああ、こんな自分が居たのね」と
気付けるのは、自分が見つめるとき
相手も同じだけ見つめ返してくれるからかも知れません。
それって、物凄くエネルギーの要ることで、
そんな相手と出会えたことに「ただ感謝…!」
の気持ちになったりもします。
話を戻します。(笑)
歌というのはまさにこの心の闇、深淵から
心のもやもやをグッと掴み、言葉にして
晒してくれているようなもの。
そこに触れることで、なんと!
自分の心の深淵を覗くことが、
ひとりでも出来ちゃうんです!!(なんてお得な*)
今、生きている人との覗き合い(?)もいいですが
大怪我をしながら向き合うのは、なかなか
気力体力時間も要るので
極限られた人にしておきたいもの。
これまで生きてきた、たくさんの人々の心の
柔らかな部分に触れ続けることで、
自分の心の形が少しずつ、少しずつ
見えてくる経験は不思議で面白く
それは「自分の物語を読む」という意味で
どんな本よりも面白いことかもしれません。
何千何万と受け継がれてきた歌には
何万何億の人が「いいね!」と思ったからこそ
残っているパワーがあります。
「この歌は、今、自分に届くために在ったんじゃないか」
という一首に、出会っておられるあなたも
まだのあなたも、この記事やインスタライブがきっかけで
何かひとつでも、ビビビッとくる歌との出会いを
紡げたらと願いつつ…*
ちなみに。
「きのこの山か、たけのこの里か」論争には
「だったら一緒にアルフォートを食べない?」
と、さらに混ぜっ返す返答をしがちな
コミュ問題児です…(苦笑)
(分かっていても止まらない)
今日のお着物
絽のお着物と帯で夏の名残り、
秋の草花の景色を。
今回はギャラリーリールさんの連載コラムとも
少し内容連動しております*
春と秋のオススメ絵本などなど、
ぜひぜひ合わせてお楽しみください!
絵本作家・万葉&民話作家 まつしたゆうり
「心をつなぐ扉を描く」水彩画
共感覚で感じる色と模様を描く。
昔から伝わる物語を、今に届く形にして
お届けしています*
大阪在住、滋賀県長浜出身
大阪芸術大学デザイン学科卒
🌟第5刷 『よみたい万葉集』
初心者から中級者まで楽しんでいただける入門書。
中見パラパラ見れます📖✨↓
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一面に田んぼの広がる田舎町で、
虫と草花と、本を友として育ちました。
幼い頃から 古典と歴史と仏像と恐竜と特撮と漫画とアニメが大好き!
心に触れることで果てしない空想の旅を一緒にできるような作品を作っています。
ゆったり季節に寄り添う暮らしと、日々 野鳥観察&着物。
鳥は愛でるのも食べるのも好き。
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