愛するために、まずすることは
先日、こんな記事を書いたのだけど
今朝ふと
「愛はプレゼントと同じで、余剰分から渡す」
と無理なく続けられるのだろうなあ
と気付いた
例えば
自分に余裕が無い中
“足りない”のに
一生懸命、必死に用意した物
それを
「要らない」と拒絶されたら
きっと、物凄く、傷つくし
悲しくなる
人によっては
怒るかもしれない
けれど例えば
自分では使いきれない程の物が手元にあって
このままだと勿体ないから
「誰がいいかなあ」と
その時、必要そうな人に声をかける
そこで「要らない」と言われても
「ああ、足りてるところに声をかけちゃったな」
と、そんなに凹むことはないし
なんなら
「別の人に声かけなきゃ」
と、次の視線に移ってたりする
愛も
このくらい余裕があると
きっと
気軽に手渡せるんじゃないんだろうか
これは
ミモザアカシアを植えてから
気付いたことなのだけど
お庭に植える前は
春に店先にあると欲しくなったし
他の家のお庭にあるのが羨ましかったし
いつも見るたび
「あのお花が欲しい!」
の感情でいっぱいで
でで、
お庭に植えた初年度は
お花が付かなくて
同じ状態
2年目は
ちょっとしか付かなくて
その花を大事に眺めており
でも3年目
大量にお花が付き出してからは
プレゼントしまくっている(笑)
なぜなら
とても自宅で飾りきれる量じゃないし
こんなにたくさんは
ひとりで使いきれないんだと
身に沁みて理解したから
なので
それを「要らない」と言われても
傷付かないし
あげた先で数日で捨てられたとしても
そこまで落ち込まない
(なぜなら、こちらにあっても
捨てることになるから)
これがその年
たった一本だけ咲いたお花だったら
ぞんざいに扱われたら
物凄く傷付くし
わざわざ買って用意したものなら
お金も無駄になるし
ショックも大きいだろうなと
そうならないのは
余裕がありまくるからだなと(笑)
自分の家で充分に
愛でて楽しんでいるから
他のことは
そこまで気にならない
だから
つまり
これを“愛すること”に置き換えると
まず「愛を余剰させる」ために
自分で自分を
しっかり愛し抜くことって
めちゃめちゃ重要なんではないか、と!
人からの愛も
もちろん大事だし
必要だけど
まず
自給自足が出来てないと
輸入に頼っちゃうみたいに
「この人の愛が無いと!」
と、振り回されちゃうから
自分をしっかり
愛せるようになると
きっと余剰を生み出せるようになる
そのためには
「自分らしい自分」を
認めて
諦めて
それでもがっかりせずに
ダメダメなところも受け入れて
愛すること
制限をかけていたのを許したり
頑張らない、をしてみたり
ちゃんとする、をやめてみたり
だらける、を許可したり
自分にお金をかけてみたり
丁寧に扱ってみたり
できること
小さなことから
初めてみると
きっと少しずつ
変わってくる
ここ数年
自分と向き合ってみて
心からそう
思うから
自分をめいっぱい
“なでなで”できるよう
皆さまも出来そうなとこから
ぜひ、レッツトライをば♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?