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【ふせん】世界一やさしい「才能」の見つけ方_#027

概要

書評というほど本全体に対する批評は薄く、
読書感想文というほど総合的な感想ではない。
気になった言葉に対して感じたことを「ふせん」として書き記すシリーズ。

世界一やさしい「才能」の見つけ方


気になった言葉たちと感想など

才能を見つけずに生きている人は、陸にいる魚に似ています。

世界一やさしい「才能」の見つけ方

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉もあるが、そうは言ってもより適したところ、求められるポジションを見いだして活躍したほうが、自他共にいい影響を生み出せるだろう。
自分自身のことと周り(環境)のことをしっかりと観察し、才能を活かせる場を見いだしたい。


正しい才能の定義とは何なのか?
それは、 「つい、やってしまうこと」

世界一やさしい「才能」の見つけ方

優れた気付きの背景には優れた質問があり、「ついやってしまうことは?」という問いの答えを考えることがそのまま自身の才能を見つけるための第一歩となるようだ。
私の場合は「つい効率を考えてしまうこと」が最初に浮かぶので、これを糸口に才能探しができそうだ。
本書ではこういった具体的な分かりやすいワークがいくつか紹介されており、速効性も実用性もとても高い。


「スキルや知識」は学ぶことで後天的に身につけたもの

世界一やさしい「才能」の見つけ方

才能を探すうえで間違えがちなアプローチとして「スキルや知識」を上げてしまうことがあるが、これはあくまで社会に才能を当てはめていく目安のひとつに過ぎない。
こうやって考えると才能というのは具体的に表すことが難しい抽象的な側面もあり、だからこそ言語化が難しくなるのだなと思った。もちろん、だからこそ才能をはっきりさせることで、そこからなにが得意なのか、なにが苦手なのかといった具体化に繋げられるのだろう。


人生を豊かにするための資格が、逆にあなたを縛っているとしたら本末転倒です。

世界一やさしい「才能」の見つけ方

スキルや知識を証明するものとして資格試験は分かりやすい指標のひとつではあるが、上に出てきたようにこれらは必ずしも直接的に才能に繋がるものではないため、頼りすぎるのも禁物だ。いわゆる「手段の目的化」の例とも言えるだろう。
これを避けるためにはやはり行動の目的としての自身の才能はしっかり念頭に据えておかないといけないと感じる。


「動詞」に注目すれば才能が見つかる

世界一やさしい「才能」の見つけ方

「ついやってしまうこと」の更なる補足。
たとえば「コミュニケーション能力が高い」というスキルがあったとして、これは動詞ではないため才能としては言語化が足りていない。
「会話のなかで連鎖的に疑問が浮かんで、つい深掘りして(しすぎて)しまう」というように、動詞で表現できると才能として有用になる。
これも才能探しで大事な基準として覚えておきたい。


1つ目の公式は、「短所←才能→長所」というものです。
これは、「才能は短所にも長所にもなる」というシンプルなことです。
~中略~
才能を活かすために必要なのは、必死に努力をすることではありません。
自分の才能を深く理解し、才能が長所として活きる環境に身をおくことです。

世界一やさしい「才能」の見つけ方

「努力は必ず報われる」というような言葉もあるが、努力をするにしても自分に適した場所で正しく努力をするべきだという話か。
自身の才能が短所として目立つ場所でいくら努力をしても、望むような結果は得られずに挫折を味わう可能性がある。ただもちろん、こういった経験も自身の才能の活かしかたを見極めるプロセスのひとつだと考えて次に繋げられれば無駄になることもないだろう。


2つ目の公式を解説していきます。
それは、「才能×スキル・知識=強み」です。
~中略~
才能を見つけて、その才能に合ったスキルを学べば、成果につながる可能性はグッと高まります。

世界一やさしい「才能」の見つけ方

あくまで順番としては才能を見つけるのが先で、才能にあったスキルや知識を身に付けることが重要。
スキルや知識は一般化しやすい具体的な物が多く、世の中にはこれらの情報があふれかえっている。なので必然的にこちらを意識する時間が多くなるため、才能のことを考える暇もなくスキルや知識ばかりに振り回される。
強みとして最大限に活かすのであれば、自身の何の才能と相性の良いものなのかを考えて様々な情報をインプットしていきたい。


「これが私の才能だ!」と揺るがない自信を持つ方法、それは、「才能があらわれた経験を4つ以上見つけること」です。

世界一やさしい「才能」の見つけ方

これは自信を持つ方法でもあり、周りに説明するための材料にもなる。
いわゆる具体的なエピソードというものだ。
才能として言い表す部分は抽象的な表現になる部分がどうしても出てくるため、「具体的に言うと・・・」という感じでいくつかのエピソードを持っておく。そうするとイメージが具体化されて才能の輪郭もはっきりしてくる。
さらに、これらをしっかりと持っておくことで自分自身のルーツや大事にしたい価値観などもいつでも振り返ることができる柱にもなり、とても重要な考え方だと感じた。


1.長所が活かせると自分の存在価値を確信でき、短所を人に頼れるようになる
2.自分が嫌なことをやりたい人がいる
3.人は頼られると嬉しい
この3つの事実から僕は、「自分の短所を残して人に頼るのは、もはや社会貢献」だと感じています。

世界一やさしい「才能」の見つけ方

この考え方はとても面白い。
ここまでひたむきに自分自身の才能について考えてきた流れだが、一気に社会全体に目線が広がっている。
たとえば運転が苦手だという短所を持つ人がいたとして、こういった人たちのために公共交通機関やタクシーといったサービスが存在し、それらのサービス提供者は運転が得意(あるいは好き)といった長所としての才能を社会に還元している。
こうやって人々が長所を社会に還元し、短所は世の中のサービスを利用するという自然なサイクルを持つことによって、文字通りの共存が成立している。
こういう視点を持つと、「短所があることは全く悪いことではない」という言葉がすっと飲み込みやすくなるだろう。


「自分の才能をつかえば、他人に貢献して喜んでもらうことができる。反対に才能がないことだと、人から感謝されることは難しい。だから人に感謝されることに集中していると、自分の才能が見つかる」

世界一やさしい「才能」の見つけ方

先ほど出てきた短所の補い合いに近い話ではあるが、自身の才能が短所として出てくる環境でどれだけ努力をしてもうまくいかず、周りからも感謝されない。
完全に現場でのプレイヤータイプの人を、無理やりマネジメントのポジションに立たせても周りにも本人にもいい迷惑になるように、適材適所という考え方はやはり重要だろう。


見ていて「嫉妬を感じる人」は自分と近い才能を持っている人なのでロールモデルにしましょう。

世界一やさしい「才能」の見つけ方

嫉妬という感情は単純に単体で見るとあまりいい感情ではないように思えるが、この感情の根源として「自分のほうがもっとうまくやれるのに・・・」といったようなもどかしさの目線もあり、”つい”反応してしまっているのであれば、自身の才能と同等の領域と言える。
こういったネガティブな印象のある感情を毛嫌いする人も多いが、この一節のようにあらゆる感情の根源にあるものを考えられるようになると、いちいち自分自身の反応に一喜一憂しなくて済むようにもなる。
なかには全く嫉妬しない人や怒らない人というまれな存在もいるが、まねをしようとしてできるものでもないので、自分自身の感情とうまく向き合えるようにこういった知識は意識的にインプットしていきたい。


「才能が違う人のやっていることは、魔法に見える」という特徴があります。なぜなら、才能が違う人のやっていることは文字通り、その裏側の「タネも仕掛けもわからない」状態だから。目の前でマジックを見せられているかのような気持ちになります。そんなときは、嫉妬ではなく、拍手を送りたくなってしまいます。

世界一やさしい「才能」の見つけ方

ひとつ前の話の逆の話。
世の中のすべての人に嫉妬してしまうという人はさすがにいないと思うが、自分の才能とかけ離れた存在は嫉妬の対象にならない。
たとえば私の場合は完全な理屈よりの人間であるため、音楽や絵画などの芸術面での圧倒的な才能を見ても全く嫉妬することはない。それは原理が全く分からないからであり、まさに魔法のように感じるものでもある。
こうやって自分自身が世の中に対して持っている感情や反応を観察していくと、逆引き的に自身の才能をよりはっきりととらえることもできそうだ。

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