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今日、25年住んだ埼玉県朝霞市を出る

わたしは1月末で、25年近く住み続けた埼玉県朝霞市(あさかし)という街を出る。

生まれも育ちも朝霞市で、今まで通学通勤を機に一人暮らしをする必要もなかった。
わたしは多分人よりも地元愛が強く、正直朝霞市を出るのはすごく寂しい。泣


だいたいここで心をスッとさせていたお気に入りの景色。夏はここで同じマンションの人同士で料理を持ち寄り花火を観ていた。



朝霞市という街は特に何かがあるわけではない。

青春時代の思い出が詰まっているとか、今でも友達が住んでるとか、馴染みの店があるとか、地元を好きな理由なんてほんとそんなもんだろう。



今回 #この街がすき というお題を知って、せっかくだから無理やり文字にしてみることにした。
(そしてこれを書きながら懐かしくなってチャリンコで朝霞市を巡ってきた)

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四市はマイミク強制

埼玉県朝霞市は新宿まで30分、渋谷まで40分、東京まで45分くらいと、ザ・東京のベッドタウンだ。


埼玉の南端に位置し、すぐそこは東京都なのでもう東京と名乗っても良いくらいだと思っている。

わたしが高3まで住んでいた辺りは特に、家や公園や工場などがギュッ!!となっている。久々に行ったらゴルフ場がパチ屋になっていて圧迫感



朝霞市という街は周りを新座市・志木市・和光市で固めている。誰が呼び始めたのかわからないが、わたしたちは「四市(よんし)」と呼ぶ(そのまま笑)



この辺は4つの市が入り組んでいることもあり、市をまたいで部活やSNSを通して交流があった。

四市ってだけで仲間意識があり、mixiのプロフィールではみんな「四市はマイミク強制」と書くし、前略プロフの掲示板にはカキコしていた。笑



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和光市は高貴で品が良い、新座市はドンキ(通称“座ドン”)があってヤンチャ、志木市は丸井もサティも(昔はダイエーやららぽーとも)ある都会 というイメージ。

そんな中で朝霞市は一番パッとしない。そういうところもなんだか愛おしい。



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しかし朝霞には中学生の楽園・ラウンドワンがある。お台場店よりも広いスポッチャだってある。これが何よりの自慢だった。

ちなみに四市の他の市の人たちが来ていると、私たちの庭だけど?感は出さずにはいられなかった。


ご丁寧に椅子が置いてあるトイレの更衣室でくつろぎながらプリクラを何故か4回撮って、マルエツのパン屋さんで顔より大きい「くるみリング」とリプトンのピーチティー1Lを買い、フードコートと呼んでいたテーブルが置いてあるだけのスペースに溜まる
というのが「遊ぶ」ときのお決まりコース。



部活がオフの日は8時に集合して、ラウンドワンのカラオケにフリータイムで入って元をとるようにしていた。おかげで当時歌っていた歌は今でも十八番だ。


ラウンドワンに行き忘れたので児童館の写真。屋上にスペースがあってここでもよく遊んでいた。



馬が膝を折る坂道

朝霞は坂が多い。

小学生の頃、あまりの坂で馬の足が折れたことから朝霞市にある「膝折」という地名がついたのだと聞いたことがある。


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わたしは比較的高台に住んでいたのだけど、坂を下ったところに位置する小学校へは15分。
坂を下って、さらに坂を登ったところに位置する中学校へは40分ほどかけて通学していた。(帰り道はしゃべりすぎて平気で1時間半はかかった)



今考えても結構な距離を歩いていた。そりゃ馬も膝折るわ。

通学路はなぜか公園の中。このペースで嫌に長く続く。
中学校はさらにこの坂を登る。長いし急すぎるて、勘弁してくれ。



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わたしの友達はだいたい坂の下に住んでいたため、帰りに1人になるのは少し寂しかった。重い自転車を押して坂を登るのが何より面倒。


しかし坂の上だと新座のドンキ“座ドン”にすぐ行けるので良い。あそこは二時間くらい余裕でいられるほど最高の場所だ。


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わたしが高2まで住んでいた家の近くには「島の上公園」という大きめな公園がある。(今見たらそんな大きくなかった)

斜面に沿って作られた公園で、本来は“坂の上”公園が正しいのだろうけど気にしたことはなかった。



島の上公園の「長い滑り台」(←と呼んでいた)は真剣に結構なアトラクションだと思っていたし、1人で滑れるようになることが幼少期のひとつのステータスだった。

ちなみに今は逆に滑れなそう。こんな錆びちゃったのね、、



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島の上公園はわたしの住んでいた家が面していた。家につながる道は木々が生えていてちょっと薄暗いからか、不審者情報も多々あったうえに、夜中に騒ぐ若者の声とかも怖かった。


雨が降るとコケがすごくて本当に滑りやすいから危ない。秋だけは落ち葉のカーペットが楽しかった。




それに追い討ちをかけるように、わたしが5歳のころ同じマンションのお姉さんがカラスに襲撃された事件があった。


いつものように家の前で遊んでいると、そのお姉さんが顔面血だらけ(幼い記憶が盛っているかも)で泣いて帰ってきたのだ。これはシンプルにトラウマになる。



家の前にいたお母さんたちが大慌てで対応していた記憶がある。
小規模だったわたしのマンションはみんな仲が良く顔見知りで、常に大人の目があったのはベッドタウンの割に本当いい環境だったなあと思う。

(ちなみに今は「スズメバチがいます」という張り紙が木についていた)



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たしか当時、カラスの大量発生が社会問題になっていた気がする。


顔面血だらけ事件の後、お母さんから「カラスは頭がいいから人の顔を覚えるんだ」と根拠があるかわからない話を聞いてから、
今でもカラスを見ると顔を伏せて目を合わせないようにしてしまう。街でカラスを見るとやはり思い出す。



ボロボロになってしまっていた思い出の公園。
案内図全く見えないけど大丈夫そ?笑笑



黒目川の妖精「銀歯ジジイ」

島の上公園に限らず朝霞市は不審者情報が多かった。露出狂とか付き纏いとか、割とよくあった。


春になると虫が湧くみたいなテンションで、「春になると不審者が増える」とお母さんは毎年のように言っていた。



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朝霞市には「黒目川」という川が流れている。
東京で有名なあの「目黒川」は、わたしが知っている黒目川のニセモノだと思っていた。


かつて鮎がいるほどキレイな川だったがゴミで汚染され、住民たちの努力で近年はまたキレイな黒目川が戻ってきているらしい。


春になると川沿いに桜が咲いて、夜は提灯の明かりで淡く照らされる。屋台などはないが、静かで最高にいい空間なので本当は誰にも教えたくない。



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わたしの小学校は黒目川に面し、音楽室から見える黒目川が大好きだった。 


通学路は当然、黒目川に架かる小さな橋を渡る。
あったかくなる春頃から、その橋に現れるお爺ちゃんがいた。誰がつけたかはわからないが、ずっと昔から「銀歯ジジイ」と呼ばれていた。


いつもただ橋のところに座っていて、ずらずらと歩く小学生の列に何か話しかけていた記憶だ。

そこから動かないので危害は加えてこない。
ただ銀歯ジジイの発言に反応しまうとずーっとこっちを見て何か話してきてしまうため、みんな目を合わせないようにしていた。



ちょっと怖かったのに先生たちは特に気にも留めていなかったので、「銀歯ジジイは黒目川の妖精なのではないか」と本気で疑った時期もある。
(大人たちはただの近所のお爺ちゃんってことがわかっていただけなのかもしれない)



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余談だが、個人的には銀歯ジジイよりも交通指導員(地域の交通ボランティアさん)のオバさんの方が怖かった。


いつもなんか怒りながら、顔を覗き込んで挨拶をしてくる。今考えれば、挨拶をしない小学生がいてイライラして→怒って顔を覗き込む→怖くて挨拶したくないという負の連鎖だったのかもしれない。



そんな交通指導員のおばさんと銀歯ジジイは夫婦だという謎の噂があった。小学生の発想はすごい。
でも一番すごいのはうちの小学校で代々その名を轟かせた銀歯ジジイだ。下手な若手芸人よりも圧倒的な知名度を誇っていた。てか銀歯ジジイって名前、なんだよ笑



川が浅いから光が反射してキラキラ光るのが好きで毎朝見ていたなあ、と思い出した



日常に溶け込む自衛隊

この街には陸上自衛隊の「朝霞駐屯地」がある。わたしの父は18の頃に自衛官として朝霞市へやってきた。


一家代々この街に住んでいるわけではないが、父にとってもこの街には思い入れがあるようだ。(わたしが高3の時には朝霞市内で引っ越しをしたほど)



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朝霞市には駐屯地があるので、道に自衛隊のゴツゴツの車が走っているのは普通の風景だ。
(ちなみに駐屯地の敷地のほとんどが和光市に位置するとのことだが関係ない。千葉にある東京ディズニーランドみたいなものだろう)

中学の頃のランニングコース。毎日走っていたが、よく目にしていた



朝霞市民にとって自衛隊は身近で、クラスに自衛隊マニアの男の子がいたりもする。
災害派遣や富士山演習は大変そうだったが、お父さんが自衛官というのはわたしの大きな自慢だった。



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小学生の頃一番遊んでいた友達のお父さんも自衛隊マニアだった。


朝霞駐屯地には「広報センター(今はりっくんランドに改名したらしい)」がある。
無料ですごく楽しめるので是非行ってみてほしい。

衝撃の昔懐かしいホームページだった…



友達はよくこの広報センターに通っていて、わたしもよく友達のお母さんの運転で連れて行ってもらっていた。

自衛官の娘としては当時広報センターのありがたみはよくわからなかったが、自衛隊のヘリコプター搭乗体験に名前を書くと百発百中で当たるので友達に感謝された。
(今考えると名前でここの自衛官の娘だとバレた忖度だったのかもしれない笑)



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子どもの頃はお父さんの職場について行くことができたので、広報センターよりもっとワクワクする敷地内もよく見せてもらっていた。
入り口に立っている自衛官に全力で敬礼をすると、みんな笑顔で返してくれたのを覚えている。



お父さんに「敬礼っていうのは右手でするものだ」と習っていたので、プリクラなどのポーズも全て右手で敬礼をしないと気持ち悪い。



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年に一度、朝霞駐屯地では納涼祭があり、自衛官たちが各部隊ごとに屋台を出店していたりする。

わたしが小さい頃、お父さんの部隊は「焼き鳥屋さん」をしていたので、お父さんの自衛官としての仕事は焼き鳥屋さんだと思っていた。



迷彩柄を着た屈強な男たちの中にお父さんがいると、いつもよりもカッコよく見えて嬉しかった記憶がある。

特に写真はないので母と父(ハンモック)と隙間から犬。昔は自衛官らしく?ガッツリしたキャンプにたくさん連れていってくれたが、今ではトレイラーなどで優雅キャンプ。



敷地の真ん中の方では多分お偉いさんたちが座って宴会をする。友達と納涼祭に行くようになってからはお父さんもその中にいたらしい。


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ちなみにちょっとだけ離れた通りは、若手自衛官たちのナンパストリートみたいになっていた。
自衛官と結婚したい人は納涼祭が狙い目かもしれない。




わたしの性格を覚醒させた「彩夏祭」

朝霞市で最も自慢できるもの、毎年8月頭に行われる一大イベント「彩夏祭」だ。

始まりは1984年、人と人との繋がりや愛着が薄れていくことに危機感を覚えた市民によって始めらたそう。


こういう道路も一体がお祭りに使用される。会場も2駅にまたがる規模の大きなお祭りだ。




まだまだ若いお祭りだけれど、回を重ねるごとに規模が大きくなっていて、約70万人もの人が来場するほどだ。



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このお祭りのメインイベントはなんと言っても「よさこい」だ。参加チームは各町内会やそこから派生したもの、学校や幼稚園、最近では県外からも合わせて約100チーム。

高知発祥のよさこい踊り。今では各地で開催されているが、関東で一番最初に始めたのは朝霞市の彩夏祭だ。



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わたしは7歳から15歳までよさこいチームに所属していた。
人見知りで緊張しいだったわたしが、目立つことが大好きなグイグイ前のめり女になったのは確実によさこいのおかげ(?)だ。


写真がなくて動画のスクショ。超かっこいいからYouTubeとかで是非観てほしい


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よさこいの練習は夜の学校の体育館で行われ、ちびっこたちからお兄さんお姉さん、オバサン、おじいちゃんまで幅広く参加している。


地域の活動って思春期にもなるとちょっとダサくて恥ずかしい時期もあるかもしれないが、朝霞市にとっての「よさこい」は最高にイケてる活動だった。



前夜祭も含め三日間にわたり開催される彩夏祭で、ステージに登った時のカラフルな照明と緊張まじりの高揚感、そして友達が大声で呼んでくれる名前のコールは本当に最高だ。



一つ上のイケイケなお姉さんグループが同じチームにいたことは、中学に入学してからそれはそれは心強かった。笑



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わたしの夏に「彩夏祭」は欠かせないし、彩夏祭が終われば夏が終わったも同然だった。

今思えば日本の祭りや文化、伝統、和服などが大好きになったのはよさこいが原点だ。


マンションの人たちとレジャーシートを敷いてワイワイ彩夏祭の花火を見ていたスペースは立派なウッドデッキになっていた。



彩夏祭がどんなお祭りか?についてはわたしが語るまでもないので他の方の記事を読んでほしい(めんどくさくなっただけw)

または今年の開催ができるのであれば足を運んでほしい。



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いろいろ朝霞市を振り返ってみると、流石にわたしという人間を構成している色んな経験が至る所に染み付いていた。

そして思い出せば思い出すほど、意外と文字に起こせるほどの面白いエピソードがたくさんあった。



朝霞市で出会えた人たちと、朝霞市で、いい環境で育ててくれた両親に大感謝だ。
ありがとう朝霞市!!




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おまけ(記録)

はじめてのバイト先。人気店すぎて原宿竹下通り店よりも客を捌いていた。社会の理不尽を学んだ場所


オープニングスタッフでJKの小娘にスープの味チェックまでさせてくれていたバイト先。贔屓目なしに世界で一番美味しいと思うラーメン。

和食出身の社長にはネギを切る音を聞いて「繊維が潰れてる」と何度も注意されたがいまだに意味は分かってない。スープを飲み干さないと傷ついてしまう社長のせいで賄いで8キロ太った。
中華そば 幻六


食べ放題の焼肉屋だったが、弟のサッカーチームの打ち上げをしていたら火事になって、その日の代金は無料になった後潰れ、カラオケになった。馴染みのシャトレーゼもカフェになっていた。
ところでここはいつになったら横断歩道がつくのか


ヘビが出たこともある(とされている)この斜面。「山」と呼んでいた


「●●万円」と典型的なボケをしてくるおじちゃんがいたヤマザキ。


島の上公園の脇の塀。指でなぞると跡がつくので相合い傘が書かれるなど掲示板化していた。


薄暗く不気味だった島の上公園のトイレ。死ぬほど切羽詰まっていない限りは使わなかった


朝霞市出身の本田美奈子さん。ちなみに尾崎豊さんも朝霞市出身で、実家の場所を知っていることがステータス。本人は朝霞市出身を公表していなかったらしい。


確か公務員宿舎?ができる云々の話が出た際に突如現れたまさかの「バーガーキング」。マックやロッテじゃなく「バーガーキング」。
同時期にできたサーティワンは部活帰りみんなで並びに行った。ちなみに顧問も並んでいた


ここのベンチは開けていて風通しもよいため何故か何時間も滞在できた。


わたしの秘密基地。昔は枝やツルが伸びていてドーム型になっていた気がする。ただこの秘密基地は完全なる共有物だった。ぜんぜん秘密基地じゃない


(太陽堂という駄菓子屋に行くのを忘れてしまった、、)


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▶︎美味しいお店シリーズ

世界一美味しいラーメン


大好きな先輩の旦那さんのお店。アットホームなバーで料理もガチ絶品


うちの家族お気に入りのおしゃれバル。燻製がとても美味しい


え、まって。閉店してるんだけど。
レトロで美味しいお好み焼き屋さん


安くて美味しくて、おしゃれな店。女子会に是非


ここの食パンは間違いなく美味しい。


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