わたしが、はじめてレッズをみた日
物心ついた頃から浦和レッズが好きだった。
日本人が「好きか嫌いか」を問うまでもなくお米が好きで、毎日食べているように、
そのくらいわたしの日常には当たり前に浦和レッズが存在していた。
小学校3年生の頃に、はじめて「ガンバ大阪が好き」だと言う男の子に出会ってひどくショックを受けたくらいだ。
大宮アルディージャならまだしも、この埼玉に生まれて浦和レッズを愛さない(しかもライバルチームのガンバ大阪を好き)だなんて。
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Jリーグが開幕する前、父の職場に浦和レッズの前身である三菱自動車工業サッカー部が試合をしに来てくれたそうだ。
父の職場のサッカー部相手にも本気で真剣に取り組んでくれた姿を見て、そこからすっかり浦和レッズの虜になったと聞いている。
幼い頃から、父や母が試合の勝敗に一喜一憂する姿を見てきた。
ゴールの瞬間に発せられる父の大きな声は怪獣みたいで怖かったし、ゴールを入れられた時の母の舌打ちには戸惑ったけれど、浦和レッズの試合を見る大人たちの目が少年のようにキラキラしていたのを憶えている。
大宮アルディージャサポーターの友達家族が遊びにきた時には、サッカーを巡って、わたしの父と友達のお父さんが口論になったこともあった。
終いには友達のお父さんが泥酔して吐きながらうちに泊まったのだが、人間が泥酔した姿を見たのはそれが初めてだった。
“さいたまダービー”は恐ろしく危険で、絶対に負けられないのだ。
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駒場や埼スタでの試合のほかにも、大原練習場、埼スタツアーにファン感謝デー「レッズフェスタ」、弟が参加したサッカー教室「ハートフルサッカー」、控えメンバーの「サテライトリーグ」の試合にも連れて行ってもらった。
浦和レッズに関するイベントへ行く時はいつも特別感があって、ワクワクしたあの頃の胸の高鳴りが今でもリアルに思い出せるほど。
すべてが楽しい幸せな記憶で、わたしたち家族の大切な思い出だ。
いつでも浦和レッズが当たり前にあったから、わたしはパキッと「はじめてレッズをみた日」のことを覚えていない。
それでも断片的に、埼スタでのワンシーンが映像として記憶に残っている。おそらく一番古い記憶だけれど、あれはいつ頃なのだろう。
小野伸二選手のプレーにどっと湧くスタジアムと、相手選手に倒されたときに「しんちゃん!しんちゃん!」と絶叫にも似た黄色い声援を送るお姉様方の姿。
あとはスタジアムが一体となって響く阿部勇樹選手のチャント。
わたしの名前は「ゆうき」なので、この時にいつも母が「ゆうきだって!ゆうきのことを歌ってるよ!」と言ってくる。ほんとうに、毎回、言ってくるのだが、幼いながらに自分のことを歌っているわけではないと知っていた。
余談だが、その記憶のもう少しあとだったか、アーティストのゴダイゴが「さ〜いた〜ま さ〜いた〜ま さ〜いた〜まカモンカモン」という歌を歌っていた記憶が強烈にあるのだけれど、あれは夢か幻だろうか。
スタンドで周りの大人たちが総立ちしてしまうと、小さな体は埋もれてしまって、よく試合が見えない。
幼少期のわたしがオフサイドのルールすらわかっていたか怪しいし、埼スタまでの長い道のりは頑張って歩かないと父や弟に置いて行かれそうになる。
それでも、浦和レッズの試合が、埼スタや駒場のあの雰囲気がワクワクして楽しくて大好きだった。
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最近、大人になってからも好きなもののほとんどは、幼少期に楽しかったり褒められたりした思い出があるなと考えている。
なぜ浦和レッズが好きなのか?
と問われると、「そりゃ世界一カッコいいから!イケてるから!アツいから!」と急に語彙力がなくなってしまうのは、論理的に語れる範疇ではないからだと思う。
学生時代の忙しさで浦和レッズから離れていた時期もあるけれど、やはり今でもずっと浦和レッズのことが大好きなのは、幼少期の楽しい思い出が土台にあるからだ。
小中高生は550円で試合を観戦できた、先日(2023/7/8)のFC東京戦「GoGoReds!デー」を観ながら、
「どうか未来ある子どもたちが、浦和レッズとサッカーに楽しい思い出が作れますように」と切に願っていた。
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