かつてスタンドで応援していた少年 大声援を背に
約3年ぶりに、真っ赤に染まるゴール裏から低く地鳴りのような声が発せられた。
徹底してピッタリと揃う頭上での拍手やジャンプは美しくて、もはや驚異的。息を呑むってこういうことを言うのだろう。
わたしはこの瞬間に立ち会えたことへの充足感を味わっていた。
ゴール裏の熱量はスタジアム全体に伝播する。着席している会場全体までも自然と熱くなり、はち切れるほどの拍手を送る。
最高の雰囲気を全身に受けて1点目・2点目とゴールを決めてくれたのは、幼少期から浦和レッズのサポーターだという伊藤敦樹だった。
会場全体が思わず立ち上がって両手を上げている。歓喜の渦の中、敦樹がスタンドに向かって右人差し指を上げる。
そのシーンがもう、美しすぎて、映画のワンシーンのようで、わたしは彼の物語を見させてもらっている感覚になった。
現実なんだけど現実ではないような、まるでスクリーンを一枚通して見ているような感覚だった。
前半2-0という最高の折り返しをして後半が始まる。最初に、ひとり入場してきたのはやはり敦樹だ。
その姿からこの試合に対する執念を感じ、凄まじいカッコよさに目を奪われた。
物語の主人公はこういう人なんだな、と震えた。
試合が進むにつれて会場もどんどん一つに燃え上がってきて、わたしの手もヒリヒリ熱を持って痛む。むしろそれも気持ちが良かった。
わたしは物心ついた頃から家族みんなでレッズサポーターだった。
気づけば好きな色は当然「赤」で、七五三も成人式も大学の卒業式も、結婚式も、赤い着物を着た。
幼いながらスタジアムの高揚感にワクワクして、ファンイベントや大原練習場で選手たちの人間性に触れて、リーグ優勝の歓喜を味わって、
強くてかっこいいレッズが誇らしくて。
幼少期の楽しい記憶も含めて、わたしは今でも浦和レッズを大切に思っている。
お父さんに教えてもらったチャントを家や駒場や埼スタでたくさん歌ってきた。この日は特別、あの頃の記憶とリンクしては込み上げるものがあった。
ヒーローインタビューはもちろん敦樹。
「この声援でプレーすることを楽しみにしてきた」「小さい頃はスタンドで応援する立場だった」「今日はほんとうに幸せだった」
嬉しいです!と、パーマをかけてイメチェンをした可愛い笑顔には、頼もしいプレー姿とのギャップにキュン死した。
年齢問わず、敦樹の父や母、祖父や祖母、なんなら叔父や叔母かのような気持ちになったサポーターは多いと思う。
実際、彼のプロデビューから見守ってきた身としては「大きくなったな」と真剣に思いながら涙を堪えていた。
デビュー当初のインタビューで、
と答えたのを思い出した。
最高!こりゃサポーターに好かれるね。と思いつつ、オイオイこんなこと言って大丈夫なのか?と心配になった。
当時はまだルーキー。プロとして社会人として、こう上手く、可能性を絶つことは避けた方がよいのでは?予防線を張らなくて大丈夫か?
なんてダサいことを思った自分を猛烈に恥ずかしく思った。
彼のお父様やお母様は埼スタにいらっしゃったのだろうか。ご両親を探してお礼を言いたくなったが、ツイートするまでに留めた。
ご両親はほんとうに感動しているだろうな。
一緒にレッズを応援しにきていた息子が、レッズのユニフォームを着て、大声援を受けてプレーしているなんて。
大きくなる息子の姿には、誇らしさと同時に寂しさも感じるかもなあ。
と、勝手に想像つくはずもないご両親の気持ちに思いを巡らすほど変態的に感動していた。
試合後、敦樹がひとりスタジアムを周って挨拶をする。ゴール裏に来たときは、「敦樹コール」が湧き上がった。
もっともっと!褒めてあげて!!そうそうそうありがとうありがとう!!
という気持ちを込めて、精一杯の拍手を贈る。もう手がはちきれてもいい。
最後は選手たちがピッチに戻ってきて、サポーターは起立し皆当たり前のようにタオルマフラーを掲げ、ゴール裏が「We are Diamonds」を唄う。
最高だった。
声援やWe are Diamondsを初めて味わう選手や監督やコーチ陣に、浦和レッズというものがきっと届いた。
退団挨拶で「僕は遠くで唄います」と言った槙野はどこかで唄ってくれているだろうか。と思ったが裏でバリバリ試合に出ていた。
何度も何度も思ってきたが、改めて浦和レッズを好きでよかったなと思った日だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?