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みんなで手をつないで歩こうよ。

集団行動が昔から苦手だった私にとって、矯正的に個人行動から剥がされ、皆と同じ方向を向いて歩くことを教わった。何故、個人行動は矯正されなく、むしろ見向きもされないのだろう。小学校、中学校、高校、そして大学に入学した私。仲の良い友達もそこそこいて、所謂誰か助けてくれる甘い環境に慣れてしまった。コロナが世界で蔓延し、東京から地方へと感染者は増加の一途をたどった。学校もオンラインとなり、家にいる時間が長くなる。


ある日、友人からラインが届いた。1月4日の寝ぼけ真中、「大学辞める」との連絡が届いていた。まあ、流石に私の重い瞼も強制的に剥がされ、すかさず疑問を問うラインを送った。それから3日というもの連絡は来ず、、、

他の友人にもこの件について連絡をしようとは思ったが、プライバシーというか、相手の境遇を自分に置き換えて考えてみたらそんな行動が流石にできない。それからまた2日、ようやく彼から連絡がきた。

そこにはスタンプを絵文字も無しで

       「皆に会えもしない、帰れもしないずっと一人のこの殺風景な部屋にいると、死にたくなるから」と。


何も返せなかった。そして同時に思った。

集団行動を矯正することのデメリット、それは独りが分からないこと。

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