これから

昨日、友人と出かけて乗り換え方法が覚えられないという会話になった。今は電車の乗り換えもアプリで教えてもらえるし、昔のように路線図を見なくなったよね。という昭和な人らしい話をしていた。

そして、子どもたちはそういったものが当たり前になっているから、道を覚えたり、路線図を覚えることしなくなるのかな?という疑問を持った時に思ったこと。

子どもたちを見ているとアプリで簡単に乗り換えが指示されていても、細かい駅の順番などをよく覚えている。そしてそれを地図で確認して位置を把握したりしている。うちの子だけでなく、その友人の子どももそうしていた。他の子を見ても、割とそうして駅名を覚えたり、順番を覚えたりしている子が多い。

大人からすると、そうして乗り換え方を覚えたりするのってしなくてもいいことのように思える。だってアプリが教えてくれるから。自分で考えなくてもいい。

でも、子どもは違う。アプリに教えてもらっても自分の頭で考えて覚えて・・・という過程をこなしている。自分たちが子どもの頃と同じだ。

いまアプリを使っている大人を見ていると、アプリが示した通りにしか乗り替えしないし、その方法がおかしいとか考えない。という人と、アプリが示した方法を参考にしつつ、自分のやり方で乗り換えなどをするという人に別れる。

結局はアプリがあっても頭を使う人は使う。そして自分のベストを探し出す。

そうでない人にとってはアプリがなくなったら電車に乗れない、というほどの恐怖なのかもしれない。つまりアプリに依存して振り回されている。もし、これで乗り換えアプリ使うのに1万円必要になったとしたら、アプリがないと乗り替えできないということになる。どんなに嫌だと思っても仕方なく1万円払い続けてアプリを使い続けるのかもしれない。

アプリがなくても生きていける人は1万円の使用料ができたら使わないという選択をするだろう。

これはスマホにも言える。いま、スマホを使わない人は少数になっているし、なくてはならないものになっている。そうすると、スマホを使う時に高い使用料ができたとしても、生活を切りつめてでもスマホ代を支払わなくてはいけなくなる。

人生がスマホに支配される。自分でスマホに代わる何かを作り出せるのであればいいのだろうが、それはなかなか難しい。

何かに依存するということはそういうことだ。せめて、ないと困るからいくらでも払うという考えだけにはならないようにしないといけないという気持ちになる。

私を幸せにしてくれる全てを愛しています♡