目標を持つ?持たない?
目標を持つ派
目標を持って、そのゴールから逆算して、今、どんなマインドで
どんな行動をするかを決めて、ちゃくちゃくと日々行動していく。
目標を持たない派
目の前に現れた現実(意図して現れたものも、自分の意図とは関係ない現れたものも)に、その時の自分の気持ちで、どのように対応するか決める。
目標を持つのが当たり前という非言語の世界から、え?目標無しでもいい、うまくいく?
あるテレビ番組で、若手の人気有名俳優さんが、「僕は目標持たないんです」と言われてた。
あるコーチングの講座でも、「目標を持たない」という内容を聞いて、
目標持たなくてもいいんだ。持たなくてうまくいく事あるんだって思った。
そして、先日も、ある俳優さんが、目標持たない、って言われてた。
何回か、自分の前に、そういう場面が現れると、
「私、こっちの方がいいかも。持たない派の方が、より行動できそうかも」と、自分の中で着地。
目標在りきの「コーチング」から「目標持たない生き方」へ
最初に、コーチングを学んだのは、もう10年くらい前。
「あなたは、どうなりたい?」
「あなたは、どう在りたい?」
そんな質問から始まって、次に、
「何から始めるか」行動をいくつか挙げていく。
その中の1つを選んで、期限を決めて、
次回のコーチングセッションまでに行動していく。
そうやって繰り返していけば、継続した行動ができるから、
ゴールに近づいていく、はず。
でも、なぜか違和感があって。
いい悪いとか、正しい正しくないとかでなくて、
ただ、「私」には合わなかっただけなんだよね。
違和感を持たないクリアな気持ちで日々を生きる
何かを達成したら、それは幸福だと思う。
ただ達成感は続かない。すぐにまた次の目標を持って動いていく。
その戦ってる感じそのものが快感で、達成したら、また「快」を味わえる。
「しあわせ」って、いつの間にか、そういうものだと思ってた私。
でも、年齢を経て、「幸福感」が変わってきた。
緑や花があって、川が流れる音、鳥のさえずりが聞こえる、
そんな道を散歩するだけで心地よい。
遠くに、雪山が見えて、空が青くて、海が碧くて、
そんな景色を見れるのが好き。
作りたいレシピが美味しくできた時、それを食べてる時も、楽しい。
ふらっと入ったカフェが思った以上に、いい感じで、そんな場所で、
美味しい珈琲をひとりで飲んでる時間も好き。
1日に何回も、心地よい瞬間がある、それが「しあわせ」
そんな日々が「しあわせ」って思う。
そんな日々の中で、なんとなく、
これやってみたら楽しそうって思う事をやってみる。
今までやった事のなかったことにチャレンジしてみる。
うまくいっても、いかなくてもいい。
やってみた、それでいい。
人生後半だからなのか。
きっと、やらなかった事が後悔になるから。
やりたくないのに我慢する。
やりたいのに我慢する。
もう我慢するのは、おしまい。
過去をクリアに、未来もクリアに、そして今もクリアに。
余計なものがない澄んだ今を創作して、
あ、それ、やってみたいって思った事、とにかくやってみたいって思う。