簡単に情報が手に入るこの時代に、なぜ「本を読むこと」にこだわるのか②

新型コロナウイルスの影響で、不要不急の外出を自粛しなければならなくなった。

働かないと収入がないフリーランスではあるが、まずは今までの時間に追われる日々ではできなかったことをしようと、空いた時間を映画、漫画、小説、ゲームに充てている。

WOWOWで映画を観ていたら8時間経っていたとか、ベッドに横になって少し漫画を読んでから寝ようと思ったら20巻まで読み続けてしまったとか、半身浴をしながら小説の1章だけ読もうと思ったら1冊終わるまで読み続けてしまったとか、よくわからない集中力が発揮されていてびっくりする日々だ。

これが「夢中になる」ということか。

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前回の記事で、

・博識で情緒ある文章を書く祖父は、常に本を読んでいた
・私は、言葉を覚える前から本と触れ合ってきた
・本は自分のペースで進んだり戻ったりしながら言葉の意味を理解することができ、手軽に語彙を増やすことができる
・作家それぞれの言葉の使い方、表現を楽しむことが好き

というようなことを書いた。

本は、新しい言葉に出会える楽しい場所だ。

私は文章を書く仕事もしているので、小説を読んでいて「自分だったらこんな表現は思いつかないな」という文章に出会うと、とても興奮したり、自分だったらどう表現するかを考えたりする。

例えば、ここ数年好んで読んでいる佐藤青南さんの「行動心理捜査官・楯岡絵麻」シリーズと「犯罪心理分析班・八木小春」シリーズ。

佐藤青南さんの表現のひとつに「手をひらひらとさせる」というものがある。

使われる場面はいくつかあり、

・相手を追い払いたいとき
・それは違うよ、と言いたいとき
・相手にならないと思う(見下す)人に対して

などだ。

ひとつの作品に、必ず数回出てくるこの表現、私なら絶対に使うことはない。
思いつかないからだ。
もちろん、言葉の意味もわかるしちゃんとそのシーンを想像もできる。
ただ、生まれてこの方自分自身がこういう動きをしたことがないから、自らの中から出てくる表現ではないのだ。

相手を追い払いたいときは、ひらひらよりもう少し強く「シッシッと払う」だろうし、それは違うよと言いたければ「違う違うと手を左右に振る」だろうし、相手にならない人に対しては手ではなく目線を外して無視をするなど違う表現で表すと思う。

だから、この「手をひらひらとさせる」という表現をいろいろなシチュエーションで使っていることが、とても新鮮に感じた。
万能な言葉なんだな、とも思った。

こうやって、新しい作家と出会い新しい作品を読むたびに、新しい表現に出会える。

もちろん、表現だけではなく、新しい知識やストーリーにも出会える。
それが、読書の楽しさだ。

そして、本を読むことにだわる一番の理由はこれに尽きる。
「考える力」「想像する力」がつくこと。

私たちは本を読むとき、文字のみで表現されたものを「自分自身で」頭に映像として思い浮かべなければならない。
登場人物の表情や心情を想像しなければならない。
文字にすら表されていない行間を読んで、理解しなければならない。

それは、もはや作者と自分とで作り上げるエンターテイメントだ。

だから読書はやめられない。


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