見出し画像

浴衣で花火大会へ

 虐待サバイバーのゆうかです。
 
 私が初めての男性とお付き合いをしたのは、大学4年生、21歳の時でした。

 社会人になった夏のある日、私は彼と花火大会に行くことにしました。

 私は、せっかくだから浴衣で行くことにしました。自分では、着付けはできなかったので母に着付けをしてもらうことにしました。

 その頃には、両親は、私にお付き合いしている人がいることはわかっていました。

 社会人になってもまだ、私は、父の虐待の支配下にいましたので、父が私にカレがいることを、快く思っていませんでしたし、知りもしないカレの悪口を、私に怒鳴りながら言ったりしていましたので、私はいつも怯えていました。
 
 そして、父の言動のせいで、私はお付き合いしている事自体に、罪悪感を持っていました。21歳にも関わらずです。

 そして、浴衣の件が父の耳に入ると、案の定、父は理不尽に逆上したのです。

 「わざわざ浴衣を着て男と会うなんて、この淫乱女!!!バイタ(売女)!襲ってくださいと言ってるようなものだ!」と。

 父が娘に言う言葉とは思えません。
 当時「売女」という言葉さえ私は知りませんでした。
 
 私は、父の恐怖下にいましたので、父の言いつけを守り、結婚までは、肉体関係(←父の表現です)を持てないと、彼に伝えていました。それでもいいと、彼は受け入れてくれていたのです。

 そんな娘を、父はことあるごとに感情的になり、淫乱呼ばわりするのです。

 私は、まだ男性経験もなく、正直色々なことをよく知らないままでした。
 多分中学生以下の知識しか持っていなかったかもしれません。
 
 友達には「ゆうかは知らなくていいんだよ〜」と、からかわれるほどでしたから。

 なんで私がそんなに知らなかったのか、自分でもわかりません。
 今思えば、姉は小学生の頃からよく知っていたので、これは私の問題かもしれません。 
 
 けれど、父の様々な性的な言動のせいで、私はとてもとても嫌悪感を持っていたことは確かです。
 知りたくなかったので、知ろうとしなかったのかもしれません。

 そんな私に父が、そんな言葉をかけるんです。吐き気がしました。
 そして、相変わらずの嫌悪感に失望感、そして孤独感の数々。

 父にひどい言葉を言われている私に、母はもちろん、何も言ってくれませんでした。

 やっぱり、誰も私を守ってくれないんだと絶望を感じながら花火大会に行くしかありませんでした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?