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音楽の杜がおススメする邦楽

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人生の大半を音楽に注いできた「音楽の杜」がおススメする邦楽アルバム集
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#ニューミュージック

尾崎亜美 「マイ・ピュア・レディ」 (1977)

私が毎週楽しみにしている音楽ラジオ番組って、いくつかあるのですが、その中でも日曜日PM8時からのクリス松村「いい音楽あります。」は、実に良質な音楽番組で、かつシブい選曲がマニア心をくすぐります。尾崎亜美の「マイ・ピュア・レディ」は、この番組で以前オンエアされて改めてスゴイ曲だと認識された1曲。もちろん曲名くらいは知っていたのですが、じっくり聴いたことがなく、改めて歌詞もメロディもアレンジも秀逸な1曲だと思った次第。 この曲、もちろん作詞作曲は尾崎亜美、但し編曲は松任谷正隆氏

大貫妙子「SUNSHOWER」(1977)

山下達郎さんと組んでいたシュガーベイブはポップスの名盤ですが、こちらは大貫妙子さんがバンド解散後、ソロとなって2枚目のアルバム。最近では海外でも70年代の日本のシティ・ミュージックが注目を集めてますが、以前記事にした松原みきさんと共に本作はその最右翼的存在の1枚。 当時はフュージョン・サウンドは、クロスオーバー・ミュージックって言い方をしていたらしいのですが、その代表格のバンドがStuff。当時のプロデューサーの国吉静治さんが述懐してましたが、レコーディング・スタッフで見に

原田真二「Feel Happy」(1978)

当時は全くスルーしていても、今聴くと「スゴイ!」と思っちゃうアルバムってありますよね。私的に最近驚いたのが天才、原田真二のデビューアルバムです。 原田真二が最初に所属した事務所、アミューズが、原田真二のために設立されたものであったことは有名な話。キャンディーズのマネージャーとして有名だった大里洋吉氏が、ミュージカルに対する熱い思いから渡辺プロダクションを退社し、視察渡米する直前に紹介を受けた人物が原田真二だったわけで、彼が大里氏と一緒に渡米。渡米中に情が湧いてしまった大里氏

ゴダイゴ「銀河鉄道999」(1979)

ゴダイゴのプロデューサーだったジョニー野村さんが亡くなれました。彼がいなければ、今のゴダイゴの名声はなかった筈だし、当時、ゴダイゴにチャーが加入するのでは…なんて話もあったりして(それをジョニー野村さんが断ったということらしいですが)。 ゴダイゴ、大好きなグループです。そもそもゴダイゴって、皆さんどういうイメージをお持ちでしょう。親しみやすいロックをやっているバンドっていうイメージでしょうか。 ゴダイゴは、ザ・ゴールデン・カップスで活動していたミッキー吉野がバークレー音楽

竹内まりや「Miss M」(1980)

TOTO系アーチストとのコラボ、意外と知られていない竹内まりやのAORアルバム AOR好きな方のブログには本作品はだいたい紹介されてますね。私も竹内まりやのアルバムは全て大好きで、ムーンレーベル時代の「VARIETY」や「REQUEST」は本当によく聴きました。でも今もよく聴き返すのはやっぱり本作…。 デヴィッド・フォスター、ジェイ・グレイドンといったらAORの中心人物。そのデヴィッドとジェイ、TOTOの面々とタッグを組んだ竹内まりやの4枚目のアルバム。本作はAサイド(①~

松原みき「POCKET PARK」(1980)

昨年11月、突然松原みきの「真夜中のドア」が世界のApple Music J-Popランキングにおいて12カ国で1位を獲得するという珍事があったことは記憶に新しいでしょう。インドネシア人YouTuberレイニッチさんがカバーしたことで元ネタ(原曲)がヒットした典型例ですが、もちろん原曲が素晴らしかったことが珍事に繋がったことは申すまでもありません。 「真夜中のドア」がヒットしていた70年代後半~80年代前半は、シティポップスが輝いていた時代。そこにはAORがJ-POPに大き

クリスタルキング「セシル」(1982)

その曲を聴くと妙に切なくなる曲ってありますよね?私も数曲、そういった曲があるのですが、この曲もそのうちの1曲。 中学時代に悪友から借りたシングルなのですが、何回も何回も聴きました。当時は松田聖子の「赤いスイートピー」とかアイドル全盛時代でしたので、こうしたニューミュージック系の音楽を聴いたときは新鮮でしたね。 クリスタルキングは通常はパンチパーマとサングラスのムッシュ吉崎と、クィーンのブライアン・メイを彷彿させる容姿の驚異のハイトーンヴォーカル、田中昌之のツインヴォーカルが