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音楽の杜がおススメする邦楽

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人生の大半を音楽に注いできた「音楽の杜」がおススメする邦楽アルバム集
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#1985年

岡田有希子「恋人たちのカレンダー」(1985)

昨日、4月8日は何の日だったかご存じでしょうか? 「佳桜忌(けいおうき)」…といっても殆ど誰も知らないと思うのですが、岡田有希子の命日でした。あれからもう35年が経ったんですね…(ユッコの本名、佳代と桜が満開になる時期から佳桜忌と呼ばれるようになりました)。 私は当時高校3年生、その日は入学式で在校生は休日でした。私はユッコのファンクラブに入っていた程の、デビュー以来のファンだったのです。ですからそれ以来、YouTubeが世に出てくるまで、彼女の音楽は一切聞くことが出来ませ

BOØWY「BOØWY」(1985)

日本のロック史上、最高峰のバンド、BOØWYの名曲集自分の高校・大学の7年に亘るコピーバンド生活のなかで、一番思い入れの深いバンドがBOØWYです。私が洋楽一辺倒の人間だと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、実は違います(笑)。私と同世代の方々であれば、当時のBOØWYのかっこよさは良く分かって頂けると思います。本当にカッコよかった。 BOØWYを初めて聴いたとき、洋楽好きな私が、日本にもこんな素晴らしいバンドがいるんだという新鮮な驚きを覚えた記憶があります。だからB

安全地帯 「安全地帯Ⅳ」 (1985)

個人的には玉置浩二はあまり好きになれません(もちろん面識もないので、過去の言動等々から判断しただけですが)。でも彼が作る音楽は素晴らしいし、日本を代表するメロディーメイカーであることもまた事実。彼が作る音楽はかなり私の好みです。 私の学生時代に安全地帯はメジャーとなり、また大ヒットを連発。多くのニューミュージックのアーチストがテレビ出演を辞退しているなか、安全地帯は生真面目なくらいテレビに出演し、それらを演奏していたと記憶してます。多くのヒット曲を持つ安全地帯ですが、個人的

大江千里「未成年」(1985)

ユーミン・フォロワー、大江千里3枚目の極上ポップスアルバム大江千里さんについては賛否両論あるかもしれませんね。決して歌がうまい訳ではありません。しかしポップスとしての曲の質は一流と思ってます。 特にこのアルバムは鬼才清水信之がプロデュース・アレンジを全面的に担当し、大江千里のポップスセンスを清水信之がうまく引き伸ばした、超名盤です。 発表は1985年。私がまだ高校生の頃でしたが、1984年に先行シングルカットされた⑨「十人十色」にすっかり参ってしまいました。当時、CMソン

稲垣潤一「No Strings」(1985)

シティ・ポップスが堪能できる名盤  大学生時代、もっとも良く聴いたアーチストはJ.I.こと稲垣潤一かもしれません。彼からは音楽の魔法をいろいろと教えられました。大学生生活のあらゆるシーンに、彼の音楽が染み込んでいます。 リアルタイムに聴いていたのは7枚目の「Mind Note」や8枚目の「Edge of Time」ですね。それより前のアルバムは後聴きですが、本当にJ.I.はよく聴いてました。 大ヒット曲「ドラマティック・レイン」の頃の初期J.I.は、多彩なシティ・ポップスの

佳桜忌:岡田有希子 「Fairy」 (1985)

今年も明日、岡田有希子の37回目の命日を迎えようとしております。ファンの間ではこの日を「佳桜忌」と呼んでおります。 私の学生時代のアイドルはユッコこと岡田有希子でした。彼女がデビューしたときからのファンで、ユッコの音楽・アルバムは、単にアイドルが短時間で作り上げたようなアルバムではなく、永らく聴ける素晴らしいでした。 そういえばユッコの最期のヒット曲「くちびるネットワーク」も作詞:松田聖子(事務所の先輩)、作曲:坂本龍一と豪華な布陣でした。亡くなられた教授は当時からこういっ

THE SQUARE「R・E・S・O・R・T」(1985)

最近訃報が相次ぎますね。レスリー・マッコーエンにアル・シュミット、そして驚かされたのが、スクエアのキーボーディストだった和泉宏隆さん。スクエア、特にTが付く前のスクエアが大好きでした。 実は私の学生時代のアイドルはカシオペアではなくスクエアでした。スクエアといってもT-スクエアではなく、ザ・スクエアです。ここのところはハッキリさせたいのですが、私はドラムが長谷部徹さんの頃の、タイトなフュージョンしていたザ・スクエアが大好きでした。 特に「うち水にRainbow」 (1983

松田聖子「The 9th Wave」11th (1985)

知る人ぞ知る、松田聖子の生みの親、若松宗雄さんが初の著書「松田聖子の誕生」を刊行された。 恐らく一般的には知られていないとは思いますが、原石だった彼女を発掘し、あの素晴らしいサウンド・プロダクションを施したのは、すべて若松さんの手腕。それらを赤裸々に記したのが本作。私でも知らなかったことが多く、特に若松さんが関わったアルバムの解説は非常に参考になりました。 特に、彼女を発掘し、両親を説得したはいいが、どこもプロダクションの引き受け手がいなかった話は初耳で、「松田聖子は誰とも似