見出し画像

「エモい」が苦手な私が『言葉が足りないとサルになる』を読んでみた

こんにちは、ゆのまると申します。

今朝は6時起床。昨夜の晩ごはんが雑炊だったためかお腹が空いてしまって、いつもより3時間も早く目が覚めてしまいました。今日もチョコワが美味しいです。


さて、今回も読書感想文。専修大学教授である岡田憲治さんが書かれた、『言葉が足りないとサルになる』です。

両足に湿布をヒラメ貼りしている女性が表紙で、なかなかセンセーショナルなタイトルです。面白半分で読み始めましたが、私にとってはとても大きな発見がありました。


ざっくり概要

本書では、学生・OL・スポーツ・写真サークル・政治と幅広い分野の会話サンプルを提示しながら、「言葉が圧倒的に足りなくなっている」危機的状況に警鐘を鳴らしています。

先日、"他人を傷つけないことが『やさしい』とされている"ことについてのお話もしましたが、それと少しつながる部分もありました。心理的な面でブレーキがかかって他人と本音で語れないだけでなく、技術的にも言葉を使えなくなっているなんて全く笑えない状況ですが・・・。

(人を選ぶかもしれない)痛快な言い回しと台本のように詳細な会話サンプルが豊富で、しかししっかりと言葉との向き合い方を気付かせてくれる、そんな一冊でした。


「エモい」は「やばい」

この本が発行されたのは2010年ですので、どうしても会話サンプルがひと昔前に聞こえるところはあります。

少し前まで若者言葉の代表といえば「やばい」だったと思うのですが、個人的に今は「エモい」がそうなのではないかと思います。

「エモい」ーーemotional(エモーショナル)が語源で元々は音楽シーンで使われていたというこの言葉ですが、ここ数年ですっかり定着してしまいました。

私がこの言葉を知ったのは2年ほど前(wikiによると2017年頃から広まったようです)。

「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」を意味するとされていますが、初めてこの単語を見た時に思ったのは「なんて危険な言葉なんだ……」ということでした。

目を引く写真、大好きなアーティストの待望の新曲、俳優さんの迫真の演技、夕焼けや放課後の教室で友人と語った時間。これらがすべて「エモい」という3文字で表現されてしまいます。このお手軽感、そして思考停止感。「エモい」でツイート検索すると押し寄せるエモに目眩がします。加えて、他のSNSより言葉に敏感であろうnoteでもエモいハッシュタグが乱立していてびっくりしました。

「景色が本当に綺麗で普通にエモいな~」ってなんなんだ。「エモさが溢れてる。この感情を表現する語彙力が私にないのが憎らしい」もっと頑張って言葉を探せ!と、なんだかがっくり来てしまいます。いや別に私に関係ないんだけど。

この本にも似たような事例が出てきます。

写真が趣味の筆者が立ち上げた写真サークルに、天才的とも思われるセンスを持った女の子が入ってきます。アングルや構図のバランスなど、絶対にやらないやり方をする彼女は、筆者から「この写真を作品にしようと決断したときに何を考えていたのか」「シャッターを押したときに出来上がりのイメージはできていたのか」といった質問を投げかけられても、答えることができません。

きっと彼女は、今ならこう答えるのではないでしょうか。「だってエモかったから」

私自身、コンテンツに触れた時に油断するとつい「エモい」と言ってしまいそうになります。何が、どこが、どう感動したのか。「エモい」を書き換える作業は、決してやめてはいけないなと思っています。


言葉にすることは、世界の解像度を上げること

この本を読んでいて、とても印象的だったフレーズがあります。

それは、「豊饒な言葉を使うことで豊かな内面と世界を作り上げる契機が与えられる」

私は今まで、”素敵な人”になりたくて生活習慣を変えてみたり、思いやりのある(ように見える)振る舞いをしたりしてきました。そしてその一方で、”豊かな人”とはなるべくしてそうなった、自分とは違う世界の人だと諦めてもいました。

しかし、筆者は強く主張します。気持ちにぴったりな言葉を探すのではなく、言葉が気持ちを作るのだ、と。

この論理でいくと、たくさんの言葉を知ることで、どんどん豊かな人間になれるかもしれないということになります。これは私にとって大きな発見でした。

今まで、それなりに小説やエッセイを読んできましたが、恥ずかしながら私は、ストーリーにしか目が行っていませんでした。もちろん分からない言葉があれば調べますが、「どうしてこの表現なのか?」ということはあまり考えてきませんでした。

これまでに触れてきたあらゆる文章に、作者の意図やメッセージが込められていること、そしてそれらを知ることで自分の豊さにもつながること。これは大きな希望です。

しかし、細部ばかり見ていると全体がつかめなくなってしまいます。

ブレワイでもあつ森でも塊魂でも、ボタン一つで俯瞰⇔自分目線へ視点変更をすることができます。そうした視点の切り替えを行うことで、きっと今まで以上に文章を読むことが楽しくなると思うと、今からわくわくします。


「言葉を知ると、世界の解像度が上がる」と夫はよく言っていますが、今までその意味がよく分かっていませんでした。

今回この本を通して、「言葉」という当たり前だと思っていたツールが、どれだけ多くのものをもたらす可能性があるのかを考えるきっかけになりました。

そして、せっかくの書く手段です。インプット・アウトプット共に、このnoteの場もたくさん活用していきたいと思いました。まる。


あ、ちなみに用例としてゆずが出てくるのですが、ファンの方はちょっと注意かもです。歌詞の捉え方は人それぞれですね。



この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件

いつもご覧くださり、ありがとうございます。 そしてはじめましての方。ようこそいらっしゃいました! いただいたサポートは、夕食のおかずをちょっぴり豪華にするのに使いたいと思います。 よかったら、またお立ち寄りくださいね。