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わたしの「理想の女性」

こんにちは、ゆのまると申します。

先日、金曜ロードショーで『紅の豚』が放送された後、こんな感想記事を書きました。その終わりに「ジブリ作品に『理想の女性』がいる」というお話を少ししましたが、今回はその続きとなります。

なお、文中で使用している場面写真は、すべてスタジオジブリさんからご提供いただいているものとなります(https://www.ghibli.jp/info/013344/)。


理想の女性、なりたい人。ある意味で人生の指針ともいえる、その質問の答えを考えるきっかけとなったのは、いつものボディケアサロンでした。

それは三年前のこと。リンパマッサージをしてもらっていると、施術を担当するお姉さんからこんなことを聞かれました。

「ゆのまるさんは、どんな人に憧れますか?」

社会人になった頃から私は、しきりに「素敵な人になりたい」と考えていました。
素敵な人とはなんぞや。それを具体化する過程で書店に並ぶ大量の自己啓発本を読み漁り、その中で私は「凛とした」「背筋が伸びた」といったワードに惹かれました。しかしいざ口にしてみると、それらの形容詞はなんともぼんやりして中身がないように感じます。

もっと具体的に、たとえば行動や芸能人で表すなら? そうしてさらにウンウン考えてみると、はっと思いついたことがありました。

それはジブリ映画の『風立ちぬ』、そしてそこに登場する菜穂子さんの姿でした。


『風立ちぬ』の公開は2013年。ジブリ作品の中では比較的新しい作品ですね。

いわゆる零戦を設計した堀越二郎と堀辰雄の小説『風立ちぬ』をベースにした物語で、主人公の二郎はやがて菜穂子という美しい女性と結ばれます。戦争の時代、その生涯をかけて飛行機を作った二郎とそれを支えた菜穂子の夫婦としての姿が描かれています。

菜穂子さんは名家の出身であり、その言葉遣いや所作には気品と美しさがあります。その一方、静養先では絵を描くことに没頭したり、感情を体いっぱいに表現したりと、その内には溢れんほどの好奇心があることもうかがえます。

二人の結婚生活は短いものでしたが、それを描いたシーンでは帰宅した二郎の脱いだ服をさりげなく畳むなど菜穂子さんの献身的な一面がよく表れています。「愛情」というのは、眠ってしまった相手の眼鏡を外してあげることなのだなぁと学びました。

それでいて、ジブリ作品では最多といってもいいくらいキスシーンも多く、眺めているこちらもにやにやが止まりません。自宅でも仕事を続ける二郎に、「手をつないでいてもいい?」とおねだりするところなんてね……かわいすぎますよね……。

家長である夫を立て、それでいて従いっぱなしというわけでもなく、しっかり自分の意思がある。映画を鑑賞中、私はそんな菜穂子さんに惹かれる一方でした。


私と夫は2020年に、二人だけの結婚式を挙げました。時勢を考慮してこの形になりましたが、結果的に大満足の一日でした。

結婚式はどんな形にするか。その打ち合わせを始めた時、私の脳内にあったのは『風立ちぬ』の二郎と菜穂子さんの結婚式でした。

「いざ、夫婦の契り、とこしなへ」

その身を結核に侵され、一度は高原病院での治療を決意するも、やはり「愛しい人のそばにいたい」という願いを捨てきれなかった菜穂子さん。残されたわずかな時間の中で、二郎の上司である黒川夫妻に見守られて夫婦となる契りを交わしました。

婚姻衣装も豪華な料理もない、ただ誓いを立てるだけの場。菜穂子さんは白無垢こそ着ていませんが、その分、髪に飾った白いサザンカの清らかさが印象に残りました。

結婚式と聞いてまず思い浮かぶのは、大勢の人に囲まれて盛大に行う、チャペルで厳かに神父の説教を聞く、といったイメージですよね。でもそれは、どうにも私にはしっくりきませんでした。

そうした形よりもこだわりたかったのは、隣に立つ大切な人と、これから二人でやっていくという誓いを神様にする儀式。打ち合わせがすんなり進んだのは、このイメージがしっかりあったからだと思います。

『風立ちぬ』に好きなシーンはたくさんありますが、人生の大きな行事の一つに影響を与えたという意味でも、二人だけの結婚式は非常に印象に残っている場面です。


夫を立てる、奥ゆかしい女性が憧れ。

女性の権利を声高に主張する今日の社会では、そんなことはあまり大声では言えないのかもしれません。私自身、「芯のある人が好き」と話すことはあれど、「菜穂子さん」という具体的な人物名を出して語り合えた相手はそう多くはありません。

自分がどんなふうになりたいか、どんな人に憧れるか。それは、自分の内に秘めておくものであり、他人に押し付けるものでも理解を求めるものでもない、というのが個人的な考えです。

菜穂子さんという女性は大好きですし、黒川の奥さんが彼女を評した「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」という台詞も非常に心に残ります。けれど、その振る舞いを真似できているかというと全くそんなことはありません。私は夫の脱いだズボンはそのままにしているし、たとえ夫が残業をして夜遅くに帰ってきたとしても、帰宅に気付かず爆睡している自信があります。彼に見せられる「美しいところ」が、私にはあるだろうかと首をかしげる始末です。

それでも、自分ができているかどうかと、憧れとして見据えるかはまた別の話。控えめな態度でありながら自身の興味関心にも心を向け、そして何より、愛する人の前では笑顔でいて素直さを忘れない。そんな菜穂子さんは、私にとって憧れの女性なのです。


闘病の甲斐もむなしく若くして亡くなった菜穂子さんは、劇中では二十代半ばの設定だったようです。気付けば、彼女の年をとっくに追い越していました。

フィクションにたらればを持ち込むのはナンセンスかもしれませんが、あのまま彼女が生きていたらどんな女性になっていたのか。時代も社会も大きく変わった今を生きる身として、この「憧れ」を胸に過ごしていこうと思うのでした。

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