それでも日々は続いていく話
昨日の訃報は自分にとっても堪えるものでした。特別ファンというわけではないし、勿論家族でもなければ友達でもないのに、それでも堪えたのは事実。あらためて存在感の大きさを感じます。そして、より近しい人の気持ちを考えると胸が締め付けられます。
本当に原因はわかりませんし、そこを距離の遠い人間が興味本位で掘り下げるのはどうかとも思います。今はただ、ご冥福をお祈りします。
自ら死を選ぶという感覚が今のところ自分にはありません。単純に痛いのが嫌で、それをしてまで自分の命を絶つ理由がないからです。
それはつまり、色々しんどいことがあっても、死ぬしんどさよりもマシなしんどさなわけで、自分の中でもまだまだやれることがあると思えているからというだけの話です。
反対に、自ら死を選ぶことが選択肢に入るくらいしんどい時間があり、葛藤の連続の時間が続いていたのだと思うと、これはもう本人の意思の問題だけではどうにもならないとも思います。
たまたま今の自分は、まだそこまでのしんどさを経験していないだけで、でもいつそうなるかは分からない怖さを感じました。
これからもその選択肢を入れないために、今できることは何なのか。100%防げる方法はないにしても、少しでも可能性を下げる努力はしていきたいですし、そのために色々な人の力も借りていきたいし、願わくば自分の力を沢山の人に貸していきたいとも思っています。
今日も周りへの感謝を忘れず、目の前のことを一つ一つ丁寧に。
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