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【禅】禅の世界では「自己評価」しない?

 

山治田は宗教的にノンポリシーです(念のため)


 近頃、禅の本を読んでいます。ほぼ曹洞宗の本です。
 なぜに本ばかり読んでいるのかというと、瞑想をすると過眠に陥る変な体質のためです(座禅も一種の瞑想です)。
 肝心かなめの座禅を組めない時点でいろいろ違うような気もしますが、禅に関する本を読んでいて、共通項が見えてきました。
 

そもそも自己評価に重きを置かない


 書籍で読む限り、禅の世界では、自己否定も自己肯定も、自分が価値ある人間かどうかも、あまり問わないみたいです。
 クールだと思いませんか?😁

 もちろん禅は仏教修行の一形態なので、そもそも「我」に執着しません。
 それに「これはお寺さんで修業しないと身につかないわ~」という事柄もたくさんあります。

 しかしながら、自分って価値あるのかな? とか、どうやったら自分を肯定できるんだろう、という自問自答にそもそも構わないスタンスは目からうろこでした。

 ※永平寺のガチ作務は軍隊さながらです


 こうし書物ばかり読んでて頭でっかちになるのは恐ろしくもあります😅
 せめて作務(さむ:要するに掃除など)ぐらいはきっちりやってもいいかもしれませんね。
 掃除は大体できているから……まあ、引き続きといったところですね👍

末筆ながら

 もし俺が思い違いをしていたらバシバシ指摘してやってください。
 あくまで禅の本を5~6冊読んだだけですので。
 禅に関する本はこれからも折に触れて読んでいきたいと思います。

 最後までお読みいただきありがとうございました、またお越しくださいませ~😄