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最後の三日が始まる前に、想う。 | 20世紀生まれの青春百景 #85

 あと三日で、わたしは今の会社を離れる。今回の決断はわたし自身の将来のために進めたことだ。

 なにかが強烈に嫌になったわけでも、いまの仕事に満足していないわけでもない。愚痴のようなものは他人に迫られて生成されただけであって、そんなものは本質でもなんでもない。いま携わっている事業に参画した時点で「ここまで積み上げたら離れよう」というのは決めていて、それが達成されたので離れることにした。「より専門性を高め、わたしなりの人生を形作っていこう」という機が熟したのである。

 仮に関わり続けていたとしても、夏の一ヶ月は制作期間に充てようと考えていたので、物事は計画通りに進んでいる。

 わたしはすべての物事に計画を立てていく。いちばん早いプランから、考えうる最悪の状態まで、あらゆる状態を想定しながら、そのすべてにシミュレーションを絶えず行っている。いまの会社では最初に未知なる領域に飛び込んだ際にかなり苦戦したが、それもすべて想定の範囲内で、振り返ってみると良い経験をさせていただいたと考えている。何事も初めての時は少なからず失敗するものだ。

 同世代の友人には「人生二周目?」とよく言われるけれども、これは中学生の頃に部活動をやっていた頃の苦い記憶がすべてを形作っている。あの頃、立場上後輩たちのリーダーとして振る舞っていたが、まったく後輩の役には立てなかったし、何も残してあげられなかった。落ち込んでいても、悩んでいても、その状態を解決する言葉が何もなかった。

 高校時代は部活動には所属こそしていたものの、イベントがある時以外は活動頻度は少なく、基本的には個人で動き回ることが多かった。まだ傷が癒えていなかった。大学時代は後輩と接する機会が多かったが、あくまでもサポーターのような役割になることがほとんどで、何人かの後輩を除いて、個人的に何かをするといったことはなかった。なにか得られるものがあったのなら嬉しいが、きっともう忘れてしまっているだろう。

 わたしは空気のような存在に憧れていたし、数ヶ月後には忘れられているくらいがちょうどいいと思っていた。いまも、その感覚はある。

 ただ、人間は欲張りなもので、そうはいかないんだな。忘れられていると淋しいし、ふとした瞬間に連絡したくなる。どうも過去はわたしの中で想像よりも大切だったらしい。

 なぜか飄々と生きたくなるし、格好つけたくなる。このような言葉を綴っているうちは、日常なんか何も変わりもしないのに。あの頃、同じ夢を追いかけていた人たちはとっくの昔に前へ進んでいる。わたしだけは今も、始発駅でうろうろと電車を乗り換える旅人のように、夢の中でさまよっている。今度こそは、次の道へ繋がっていると信じて。電車に乗っているだけでは、終点の先には絶対に進めないのに。

 三日後の夜、わたしはなにを想うのだろうか。すべての始まりと終わりを繋ぐ前夜に、天気予報を見つめながら動揺する。最後の日は、雨。そういや、一年前の五月もそうだった。

 あの春はすべてが上手くいかなかった。仕事も、生活も、創作も、何もかもがだめ。体調も崩した。戻るしかなかった。今回はそうじゃない、わたしがすべての道筋をつけて、今後の人生を責任をもって生きていくために決めた。この決断によって失ったものも多いが、それでもこの道で行くと決めた。

 ひとつだけ確かなことがある。わたしは社員ではなくなるが、会社と縁を切るわけではない。いまの会社は大好きだし、大好きな仲間が何人もいる。社員という立場ではなくなるだけで、そういった人たちに対しての関係性はなんら変わらない。何もかもが壊れさった後のわたしを拾い、一から育ててくれた場所だし、今後も古巣であり続ける。

 わたしはそういった縁を大切にしたい。好きな人も、嫌いな人も、人生の中ですれ違った人々のすべてが幸せになってほしい。付け加えると、いただいた愛の分、わたし自身も幸せになっていこう。

 この気持ちは今後も同じだ。一生忘れないでいたいな。

【筆者について】
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 2024.7.12
 坂岡 優

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