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いくつもの正義の形

 このエッセイでは『シン・仮面ライダー』の話はしません。ただ、仮面ライダーという存在はいつの時代もその力に悩んできたヒーローで、多くのヒーローたちも少なからず思い悩むことがあり、正義とは何かを自問自答している。そういった話を綴ってみようと思います。

 そもそも、正義は多面的な側面があります。ありとあらゆる物事には多角的な視点があり、それを人が各々の感性や理性で判断している。非常に揺らぎやすく、デリケートなものなのです。特撮ヒーローのパブリック・イメージは、往々にして、これらの正義を断罪したがります。ただ、昭和のウルトラマンや仮面ライダーの時代でさえ、人々は己の力に悩み、時に自ら捨てようとさえします。

 超人機メタルダーの第一話「急げ!百鬼魔界へ」では主人公がネロス帝国に敗北し、その宿命に苦悩するシーンがあります。これは象徴的ですね。

 昭和の特撮ヒーローの特徴として、ヒーロー自身に親がいない、襲われて改造手術を受けなければいけなかったなどの非常に重い背景があったり、戦わなければいけない宿命が用意されたりすることが指摘できます。平成になると、たとえば超光戦士シャンゼリオンや仮面ライダークウガのように、徐々にヒーローたちの背景が多角化していくわけですが、時代の移ろいや子どもたち、保護者の方々の受容に合わせて、これらは少しずつ変化しているのだと推測できます。

 ヒーローとは、ただ格好良く怪人や怪獣を倒すための存在ではありません。それを描く物語も、単なる勧善懲悪を描いているのではなく、さまざまな側面が描写されることによって成り立っています。

 メカニックの描写の流麗さ、設定のおもしろさ、俳優や声優の魅力、子どもたちと楽しむためになど……その見方は色々ですが、ただ自らの正義を貫いているだけではないヒーローたちの生き様にも注目していただければと思います。

 主題歌の歌詞で「オレは正義だ!」と断言している巨獣特捜ジャスピオンのジャスピオンも作中では思い悩んでいるのです。

 2023.3.18
 坂岡 優

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