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都市との付き合い方 | 20世紀生まれの青春百景 #47

 戦後に形成された都市が転換期を迎えた今、数えきれないほどの再開発計画が持ち上がっている。すでに完了した地域もあれば、これから行われようとしている地域もあるけれども、見慣れた光景の変貌や新たなランドマークへの違和感に覆われ、必ずしも良い影響をもたらすばかりではない。だが、建造物の耐用年数や都市文化の流行の変遷を考えると、この流れは必然ともいえることで、人々は新しいものや新しく感じられるものに魅力を感じやすいため、もはや止められない。

 労働者の都市集中も同じことがいえる。構造自体がそうなってしまっているし、この先は少子化の進行とともに不特定多数の移民や海外からの高度人材の受け入れも進んでいくだろうから、ますます地方都市と主要都市との格差が広がり、それに連なる小規模な地域の様子も変わっていくはずだ。わたしたち、とりわけ21世紀生まれの人たちは半数以上の人が経験したことのない危機感の中で日常を蠢いている。社会課題や世界情勢への関心もそのひとつで、もはやアンテナを張らずには生きられない。世界と向き合っていく意識、世界の中の日本。そういった感性を常に持ち続けているのだ。

 常々言っているが、世代における“標準”など実在しない。わたしたちのことを現状は「Z世代」と簡単に括ってしまっているが、メインカルチャーとサブカルチャーの棲み分けがほぼ無くなっている現代において、細分化された文化とともに形成された人間の平均を割り出したとしても、もはやそこには存在しない人格が浮かび上がってくるだけ。もちろん、他のあらゆる世代にも同じことが言えるけれども、インターネットの海に各々の都市を携えて人生を育んでいく時代がやってきた現代こそ、その特徴がより鮮明に現れるだろう。

 いま、わたしも東京や大阪で仕事を探している。本音を言えば、「ほんとうにこれで良いのだろうか」と思っていることをここに告白する。何故なら、生活にある程度の重心がある限り、大都市にはおそらく何年経っても馴染めないからだ。日常における余白に重きを置き、文化の海でぷかぷかと漂ってきた存在がいきなり大都市に放り込まれたって、その生き方を“矯正”させることなんか出来やしない。変化という名のコートは人を一時的に強くするが、内側には元の弱いままのヒトが怯えた視線で外を見つめている。そもそも、再開発という言葉が揺れる時点で、都市自体が疲弊してやいないか。きっと、いつかまた移住することになる。

 わたしは創作家だが、日常のそう少なくない領域はひとりの労働者だ。労働の中で金銭を稼ぎ、創作活動を続けていくための原資とする。創作関係の事業を本格的に立ち上げてからも変わらないだろうし、そもそも先のことなんか誰も分かりやしない。しなやかに生きていくしかない。

 数年先になるかもしれないし、数十年先になるかもしれない。それでも、人は折り合いをつけられる。すべての人がそうやって生きてきたし、今もそうやって生きている。都市も人が作っている以上、同じように付き合っていけるはずだ。

 2024.5.21
 坂岡 優

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