ハンガリーの話②〜ユーロビートとEDMの始まり〜
前回、ハンガリーでの生活で衝撃を受けたことは〝音楽〟であると書きました。私がハンガリーを訪れていたのは、2007年から2008年にかけてでした。当時の私は17歳でした。いまから12年ほど前のことです。
音楽が好きになったのは両親の影響も大きいかと思いますが、記憶に残る限りでは私が小学4年生のある日をきっかけに大好きになっていきました。
音楽を聴くのはたいてい、車でかけられるCDからでした。父親と車に乗るときは、サザン、井上陽水、イーグルス、ジャミロクワイ、リッキーマーティン、マライヤキャリー、サンタナがかかっていました。サザンの〝愛の言霊〟、イーグルスの〝ホテル・カルフォルニア〟、リッキーマーティンの〝Livin’la Vida Loca〟、サンタナの〝Smooth〟は子供ながらにとても印象に残っています。いまでも大好きな曲たちです。父が夏のプールサイドで桑田圭祐の作る曲のとそれにマッチした彼の声の良さを話していたことをよく覚えています。
母親と車に乗るとかかるのは、ほぼ100%、ユーミンでした。CDで聴くユーミンの歌声は素晴らしいし、いろんな楽器を使って音楽を作っているところが好きなんだと言っていました。母は、一度だけユーミンのコンサートに行ったことがあるそうなのですが、生ユーミンは歌が下手だった!という話を100回は聞かされました。
先程、音楽が好きになったのは、小学4年生のある日と書きました。それは、私が小学4年生のとき2つ学年が上のYくんの家に遊びに行った日のことでした。Yくんがたまたま持っていたCDウォークマンを貸してもらい、彼の部屋の2段ベッドに横たわりながら、嵐のデビュー曲〝A・RA・SHI〟を聴いたのです。当時、父親もCDウォークマンを持っていましたが、家でウォークマンを使いイヤフォンから音楽を聴いたことはありませんでした。Yくんの家でCDウォークマンを借り、イヤフォンから聴くその曲は、ガーッン!!という衝撃とともに頭の中、耳と耳とのちょうど真ん中に突き抜け、身体が震えるような感覚でした!なんて素晴らしい曲なんだろう!小学4年せいなりに「テンション上がるぅぅう〜」と感動しました。きっとイヤフォンを通して聴いた、音の大きさや密閉感がいままでの車のステレオとは違った感覚を、耳や頭にもたらしたんでしょう。この体験が僕が記憶の中で〝音楽〟というものに本当に感動した、1番最初の出来事でした。
たしか小学5年生になると、お年玉を貯めたお金で自分自身のMDウォークマンを購入しました。ちょうどMDが爆発的に流行り始めたころです。KENWOODの銀色っぽいMDウォークマンでした。それに合わせてKENWOODのコンポも購入しました。両親に多少はお金出してもらったかもしれません。そこからとにかく、たくさんのMDカセットをコンポを使っては作りました。MDカセットの表面に貼るシールのうえに、曲のタイトルを並べて自分だけのオリジナルアルバムを作っていくのでした。
ここから3年後に新たなる衝撃が私を襲いました。〝iPod〟を手に入れたのです。
KENWOODのMDプレイヤーは1年半ほど使ったところで壊れてしまいました。とても残念だったのですが、すぐにSONYの淡いピンク色をしたMDウォークマンを買いました。しかし、そのウォークマンも1年半ほど使うと壊れてしまったのです。当時中学2年生になりたてくらいの時期でした。その1年ほど前からiPodの存在は知っていましたが、Appleの製品が日本にまだそこまで浸透していませんでしたし、中学生なので、情報にも乏しく、我が家にパソコンが来てからもそれほど経っていないような時期でしたので、〝購入する〟という気や、タイミングがありませんでした。しかし、2代目のMDウォークマンが壊れたことをきっかけにせっかくなのでiPodを買ってみることにしたんです。
地元にある家電量販店にいくと、入荷までどれくらいかかるかわからない、早くて2週間、いや1ヶ月以上かかるかもしれないとのことでした。しかし、購入してから最短の2週間で手に入れることができました。
いままで、おぼろげな記憶ですが、多くても1つのMDカセットにいれる曲の量は、30曲くらいでしたが、私の買ったiPodの容量はなんと20GB!!! 今からしたらたいした容量ではないですが、当時からしたらありえないほどの容量でした。1つのiPodに5000曲もの音楽を入れることができるのです。夢のようでした。私が購入したのは第4世代のiPodで、分厚く、重量感があり、画面はまだ白黒でしたが、本体の裏は銀色でピカピカに光輝いていました。
それからというものの、わたしは足繁く地元のTSUTAYAに通い、CDを片っ端から借りてはパソコンに挿入し、iTunesに曲を入れまくっていきました。だいぶお金使ったと思います。両親にCDRでオリジナルのCDを作ってあげるかわりに、CDのレンタル代をちょこちょこもらっていました。
iPodを手に入れた私はとにかくたくさんの音楽をいつどこにでも持ち歩き聴くことができました。ちなみに始めてCDを購入したのは小学5年生のころDragon Ashの〝Life goes on〟でした。父親にこの音楽のどういうところが好きなのか尋ねられましたが、とにかくかっこいいんだよ!ということしか言えませんでした。言葉で説明できないし、英語やシャウトしている部分は何をいっているかわかりませんでしたが、とにかく、〝カッコよかった〟んです。
さて、ようやく本題に戻ります。17歳の頃の僕は、2代目のより容量の大きくなったiPodを手に入れていました。中学から高校生にかけては、Green DayやSUM41, Good Charlotte、GorIllaz、Foo Fighters、Linkin Parkなどの洋楽にとにかくはまっていました。
私は高校3年生の夏からハンガリー🇭🇺に留学しました。最初の何ヶ月かはハンガリー語はおろか、英語もなかなか話せない状態でしたが、音楽については世界共通でいつでも話しができました。ある日、仲の良い友達のマーティンがUSBに彼のオススメの曲をたくさん入れて、僕に渡してくれました。私はそのデータをiPodに入れてさっそく聴き始めたのですが、まさに衝撃でした!当時のハンガリーで流行っている曲や欧米での有名曲もはいっていたのですが、その中には当時でいう、ユーロビートや、EDMの先駆けとも言える数々の曲が入っていました。ちょうどデビットゲッタが徐々に有名になり始めたのも、その頃だったと思います。Cascadaや、Scooterなどといった。日本に住んでいた17歳の私では見つけることのできなかった、アーティストやさまざまな曲を聴くことができました。ビートの効いた重低音とメロディー、4つ打ちのリズムにひたすら感動しました。
週末になると、友達に連れられてクラブにいくようになりました。高校生が行くようなクラブなので、音はディープな感じではなく、割と当時のヨーロッパの流行りの曲や、ポップな曲がほとんどでしたが、それでも〝こんな音楽が世界にはあるんだ!〝といつも感動し、とにかく大好きになりました。
作曲を仕事にしている大学の先輩が言っていました。音楽の流行りの周期は大体10年ごとで、10年を区切りにトレンドが変わっていくそうです。
わたしがハンガリーに住みEDMが流行り始めたのが2008年頃、この10年間でEDMは爆発的に流行り、数々の素晴らしい曲や、DJが誕生しました。わたしの感覚では2017、18年ごろにEDMは落ち着き、トレンドが変わってきたと思います。ちょうど10年くらいですね。
今は逆に、正当なテクノやハウス、すこしトランス気味だったり、ディープハウス、アンダーグラウンドテクノなどといった、原点回帰!というような音楽が流行っている感じがします。みんな、つぎの新しい潮流を探しているんでしょう。
わたしは、EDMにはそこまではまらず、昔からテクノが大好きです。正当な4つ打ちのリズムが好きなんです。なので、今年や、来年、再来年にかけて、いまのテクノブームからどんな新しい音楽が生まれてくるのかとてもたのしみにしています。
さいごに、最近YouTubeを観ていて、1番行きたいなと思ったパーティーを載せておきます。
おわり
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