見出し画像

ストーリー通りにいかないから、育児に興味を持ったのかもしれない

「〇〇さん、今日まだ学校に来られてないんですが」

スマホのバイブレーションがなったのは、今日、仕事で手が空いた時だった。小学4年生の次男が学校についていない、と担任の先生からの連絡だった。

学校に来ていない、という連絡

一緒に7時50分に家を出て、家の前から30メートルぐらいの道を見送った。その時の次男は、まさにとぼとぼ、という足取りだったのを思い出す。

頭の中は、2つの可能性でいっぱいになる。

ひとつは、家に帰っているパターン。4年生になって鍵を持っている次男なら、帰れば家に入れる。朝から雨が降っている。外で潜んでいるとは考えにくい。

以前、家を出てから時間差で家に帰ってきた事がある。その時は次女と2人で。そして、行った振りをして寝室に潜んでいた事が1度。最初の時は、先生方が学校と自宅周辺を探して大ごとになった。仕事で私となかなか連絡がつかなかったので先生もヤキモキしただろう。そして私も、さっと探しに帰れる状態ではなく、肝を冷やした。

どちらの時も、無事で良かったが、何かあったのでは、と心配だったこと、すぐに戻ってこれないから心臓潰れるから、やめて欲しいと伝えた。また、大勢の大人が心配してくれたこと、迷惑をかけたことなどを伝えて、次男は「もう2度としない」と約束をした。だから、どこかで、それを破っていたとしたら、悲しい、という気持ちと家でぬくぬくと過ごしていたら安心だ、という気持ちが渦巻く。

別のパターンは、事故や誘拐のパターン。恐怖で声が出せない小学4年生なんて、大人の女性の誘拐と手間は対して変わらない。日本全国で、それこそ田舎でも失踪事件はあるのだ。そんな可能性、考えたくもない。でも、ゼロではない。

家への道

ちょうど手が空いていたこともあり、家に帰る。歩きながら、家にいる次男を見つけたら、なんと言おうかと考えていた。

私は小学校の時、たまにズル休みをしていた。朝弱い母が昼まで起きれないことをいいことに、寝ぼけた母に体温計を見せて

「熱があるから学校休む」

と言えばよかった。私の体温を触って確認することもなかったし、病院に連れて行かれることはなかった。それに、当時の小学校はそんなに厳しくなかった。学校に電話してもらった覚えはない。電話がかかってきたら、対応してもらうための“声かけ”でしかなかった。だから、ズル休みを否定はしない。子供だって行きたくなる時はあるのだ。

長男は小学校1年生の時、1週間ほど学校に行けなくなった時があったし、長女もたまに休みたがった。仕事がある日はどうしてもダメだから、この日ならいい、と提示した。朝もしも、次男が「休みたい」と言っても「仕事だから今日は無理」と言っただろう。それでも、聞いて欲しかった。

「ズル休み」することより、「無断欠席」の方がよほど酷い。そして「約束」を守らないことは、人を裏切ることで、約束した相手を傷つける行為だと、また伝えなければいけない。

アレクサよお前か。

家に着く。鍵があいていた。確信に変わると、ホッとする。最初に入ったのは寝室。ベッドの向こう側で丸まる次男。ドアが開く音で慌てたのだろう。

一時停止になった画面が見える。彼は隠れてアレクサでYouTubeを観ていた。見つけた安堵の次に、胸のあたりが重くなる。腹立たしさではなく、悲しみの方が大きかった。

休んだ理由は「YouTubeを観たかったから」

「ズル休みした日は、アレクサも、スイッチも、テレビもつけてはいけません。本を読んでもいいし、絵を描いたり工作してもいい。でも、一方的に与えられる情報に身を委ねるのだけはNGです」

こうして、一緒に過ごす。私はせっかく家にいるので、音声配信をする。

人の行動は、理屈では語れない。でも、感情もまた理由になるのだと、配信をする。本を読む。質素な昼ごはんを食べる。

同じ空間で1日中退屈そうにしている次男。

居心地のいい家と居心地の悪い家

家は居心地がいい方がいい。でも、子どもが小学校に上がったら、良すぎてはいけないと思う。いいことも、嫌なこともこの世にはあって、「安心感があって居心地がいい」のが家で、「新しいことを知ったり、楽しい事ができて心地いい」のが家の外だと感じていて欲しいと思っている。

インドア派の子供たちにとって、家の中にいるのが「欲しいこと」も「やりたいこと」もあって楽なのはわかっている。上2人はスマホがあれば友達との会話に困ることはない。でも、学校へ行って昨日とは違う会話をする。たまたま喋った事がない子と目があって、話をする。そんなことが楽しいと思えたら、いい。

少しずつ友達に週末に出かけて、疲れを取るのが家。そんな立ち位置が私の理想だ。

育児はストーリー通りにはいかない

たとえ自分の子供であっても、感じ方はそれぞれ。私の理想通りに感じるかどうかは定かではない。それでも、そう感じるようなストーリーを考えて、行動して行こうと、心がけている。

私はもともと子どもが苦手だった。育てられるか不安だった。「ネグレクト」や「虐待」を受けて育った人は、それを繰り返すとテレビなどで知って恐ろしくなっていた。長男が泣き続ける、寝ない、そんなことでイライラしていた。

「褒めたら〜」「これをしたら〜」なんてストーリー通りにはいかない。突拍子もないことをする。育児は“ツッコミ”の連続だ。でもそれで興味を持てたように思う。「育てなければいけない」から、興味深い存在に変わったのだ。

今日の出来事も「なぜ人は、怒られるとわかっていて繰り返してしまうのか」そんな考察の話になっていく。信頼貯金を大きく失った時、どうすればいいのか、次男とそんな話を以前した事がある。次男がどう行動するのか、見守りつつ、私自身もどう行動するのがいいのか、考えていく。

マネージメント力

以前私は、子供という圧倒的に理不尽なことを要求してくる存在を育てる経験は、「マネージメント力」を格段にアップさせる、というブログを書いた事がある。その考えは今も変わらない。

けして子どもがいない人がマネージメント力で劣るという話ではない。育児というきっかけがなくても、「マネージメント力」は上がる。あくまでも比べるのは、育児前の本人と、その後の本人だ。

理不尽な要求。作業の中断。圧倒的に時間を取られる。その中でいかに自分のやることを効率的にこなすか。また、成長を「命令」ではなく「寄り添い」で見続ける。成長のために食事や運動、与えられる刺激について考える。

業務の効率化もスケジュールに余裕を持って早め早めに済ませることも、勝手に身についていく。メンバーと業務のスケジュールも、どのあたりでいったん声をかけるかも、相手をよく見るようになる。

相談があった際には、再就職や育休明けのミーティングでは、まずは「セルフマネージメント力が上がったこと」を伝えるのを勧めている。

「何かしよう」「一歩進もう」とする時、学校から勝手に帰ってきてしまう次男を持つような人間でも、経営はできるものなのだと思い出して、励みになるかもしれないと思ってnoteにしてみた。



この記事が参加している募集

気に入っていただけたら嬉しいです。 受け取ったサポートはサロン運営、ママの居場所を作るボランティア活動、さらに私が成長するための書籍代として使わせていただきます。