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染織を通して「生」と向き合う。ほしおさなえ著『まぼろしを織る』

「生きる理由」と呼べる何かをもっているだろうか。特にない、と答える人もいるかもしれない。一方で、夢や目標などをそう呼ぶ人もいるだろう。生きる理由は人生に不可欠というわけではないが、あると日々が輝き辛い出来事も乗り越えられる存在だ。

だが、必ずしも良い影響を与えるとは限らない。たとえば、生きる理由を自分ではなく他者が決めたことにより、生きづらくなることもある。ほしおさなえさんの、『まぼろしを織る』(ポプラ社)を読んで改めてそう感じた。

本書は、主人公の槐(えんじゅ)が染織を通して、「生」について考え向き合う長篇小説である。母から「何者かになること」を強いられて育った槐は、必死で努力し期待に応えようとする。槐にとって、当時は母が生きる理由だった。だが、高校2年の冬に母を亡くし、なぜ自分は生きているのかわからなくなる。大人になった今でも、その意味を見つけられずにいた。

母が亡くなり抜け殻のようになるが、気持ちに反して体は生きようとする。体を生かすためだけに、働き、食事をとり、眠るを繰り返していた。そんな槐に転機が訪れる。

会社を解雇され、母の実家であり今は叔母の伊予子(いよこ)が暮らす城倉の家に住み、染織の仕事を手伝うことになるのだ。そこに、とある事情を抱えた従兄弟の綸(りん)も加わり、槐の生活と心情は少しずつ変化していく──。

1人では生きていくことの難しい子どもにとって、親は絶対的な存在に近い。それゆえに、親の言葉を疑うことなく受け入れたり、受け入れざるをえなかったりするだろう。その言葉が、自分を苦しめる呪いになる可能性があったとしても、だ。

言葉が呪いになることについては、槐も本書で触れている。

でも、大人になるにつれ、子どものころに聞いた言葉、大人が良かれと思って発した言葉も呪いになると知った。知らないうちにその言葉が心に根を張って、それに縛られ続けてしまう。

『まぼろしを織る』本文p.253引用

本来、親を含め大人は、子どもに多様な道があることを教えてくれる存在だ。しかし、槐の母が教えたのは「何者かになること」という道のみだった。離婚や子育てなど当時の状況や負担を考えると、大変なのは想像できるが、だからといって許容できるものではない。母が亡くなった後も、生きる理由が呪いとなり槐を苦しめているのだから。

そんな呪いを解くきっかけとなるのが、染織と綸だ。物語のテーマである染織は、蚕が生み出した糸を紡ぎ、植物から取り出した液に浸し糸を染める。その糸で布を織り、着物や帯などを仕立てていく。なかでも槐は、糸を藍で染める体験が自身に変化をもたらしたかもれないと感じている。

あのときわたしのなかでなにかが変わった気がする。あの液体に手を入れたことで、それまで眠っていた細胞が目覚めたような。

『まぼろしを織る』本文p.241引用

また本書では、染色に「草木染め」と呼ばれる技法も用いている。そのため、機織りや色名だけではなく染液のもととなる多様な植物が登場し、細やかに表現されている点にも注目したい。あまり馴染みのない木の実や枝から身近な野菜まで、幅広くとりあげられており、筆者も興味深く読み進めた。

そして、もうひとつのきっかけとなった綸の存在。綸は幼い頃、城倉の家へ頻繁に預けられ機織りに触れる機会も多かった。その腕前は、知名な染織家であった祖母も認めるほどだ。大学生になり、女性画家「武井未都」が起こした事故に巻き込まれた後、転地療養を目的に城倉の家で暮らし始める。そこで、偶然見つけた青い糸に惹かれ再び染織に挑戦する。

本書で綸は、青に強く惹かれる。この青が、未都の死や、事件後、綸に執拗につきまとう男の謎へと繋がっていく。そして槐も、染織や綸の周りで起きた謎に関わるにつれ、生きる理由に対する考え方や気持ちに変化があらわれる。その様子は、荒れていた海が凪いでいくみたいだと筆者は感じた。

世の中には、槐たちのように生きる理由を探し求める人、理由に囚われている人がいる。『まぼろしを織る』は、そのような人々の痛みに寄り添い、生きることについて優しく教えてくれる一冊だ。そして、夢や理想のように、必ず叶う保証はなく、不確かでまぼろしのような存在を追いかけることも、肯定し、ひとつの道として示してくれている。

彼女たちを通して、生きる理由、生きることについて、丁寧に、そして力強く綴ったこの一冊を、ぜひあなたにも読んでもらいたい。








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