見出し画像

冒険と忍耐の経験から得た、クラシックコンサートで気をつけること

東京交響楽団のニューイヤーコンサートに行ってきた。

普段からクラシック音楽は頻繁に聴く方なのだが、やはり生の演奏はスマホで聴くより何倍も脳に染み渡る気がする。

会場は満席で、間隔を空けて座る形式でもなく、これぞ「コロナ前」と言える景色が広がっていた。休憩時間には、多くの人が併設のカフェで買った飲み物を手に談笑していた。ソーシャルディスタンス、ここにて終了!とでも言わんばかりの景色である。

つい最近までは

「こんなに人が近くにいるなんて絶対に感染する!」

と神経質になっていたものである。ましてや飲食しながら話すなんて信じられなかった。

今あらためて文章にしたことにより、今回、そういう気持ちにならなかった自分に気がついた。コロナによる制限に対して自分の中で限界が来ているのかも知れない。

そんなかつての日常を想起させる時間を過ごしたことで、コロナの影すら存在しなかった二十年以上前に行ったコンサートの数々を思い出したのだった。

コンサートという非日常 ※開演まで限定※

子供の頃、時たまコンサートに行った。

理由は、幼少期に音楽教室に通っていたためである。その音楽教室では、超成績優秀者のみが出演できるコンサートが年に2回ほど開催されていた。限られた優秀な生徒たちが、ピアノやバイオリンなど自分の専門の楽器で演奏を披露するのである。
(なお、僕は別に優秀ではなかったので出演したことはない)

だいぶ前のことなので記憶が曖昧なのだが、確か毎回コンサートが近くなると、出演者以外の生徒に対して「よければご参加ください」といったような案内が送られてきた。僕は特別行きたいと思った記憶はないのだが、親に連れられてほぼ毎回(仕方がなく)行っていた気がする。

ただ、いざ行ってみると意外と楽しかった。
楽しく感じた理由は、大きく分けると

・非日常感
・普段乗らない電車に乗れる
・きれいで広いホールに行ける
・友達に会えて楽しい

といったところだろう。
後述するが、コンサートの内容自体に楽しみを見出していないのが特徴である。

まず、コンサートに行くとなればそれは「非日常」である。月に何回と行く人であればまた違うのだろうが、年に数回レベルであればそれなりにレアなイベントと言ってよい。

コンサートは週末のこともあったが、場合によっては金曜日の夜に開催されることもあった。金曜日の夜開催の場合、当日の朝から気分は普段と異なる。
だいたい帰ったらお菓子を食べてゲームをして‥という生活だったので、大人になった今の感覚で例えると「旅の前の高揚」のような気持ちを抱いていた。

何がそんなに楽しいかというと、都会に出かけられるからである。音楽教室のコンサートは、子供向けと言えども東京都心にあるかなり立派なホールで開催されていた。

てっきり、近くの公民館のようなところでやるもんだとばかり思っていたものだから、始めてコンサートに行ったときは会場の立派さに度肝を抜かれた。回により会場は異なり、色々なホールに足を運べたのは良い思い出である。記憶にある限りだと参宮橋にある青少年オリンピックセンターや、築地の浜離宮朝日ホールには行った。

普段、近所の学校と家の往復しかしていない幼稚園〜小学生くらいの子供にとって、都心に出かけるという行為はかなりの大冒険である。僕は埼玉県に住んでいたので、必然的に電車で会場まで行く必要があった。

そもそも電車に乗って出掛ける、という時点でかなりの遠出に感じられるにもかかわらず、親に確認したところ、なんといつもの電車に乗ったあと、さらに聞いたことのない電車に乗り換えるというではないか。

そんなの、ワクワクしないわけがない。元々電車が好きだった(今も好きだが)ので、知らない電車に乗る予定が出来ただけでも一大事だった。

初めて乗った「いつもの電車以外の電車」は小田急線であった。クリーム色の下地にブルーラインが入った塗装がまさに自分好みで、普段乗っている電車にはないおしゃれな雰囲気を持っていると感じたのを覚えている。

また、新宿駅では急行と各駅停車で乗るホームの階層が別れていて、初見の者をもれなく惑わせるその分かりづらさはゲームのダンジョンそのものだった。ゼルダ(時のオカリナ)にドはまりしていた自分は、どこか柱の影にでもマップが入った宝箱が置かれていないかと妄想したものである。

楽しい電車の旅が終わると、次はホールへと向かうわけであるが、このホールがまた楽しい。

大人になった今でも思うが、ホールという場所は非常に人をワクワクさせる力を持っていると思う。
以下は、自分の行ったことのあるホールの印象を総合したものなので少し正確性には欠けるが、そういう場所もあるんだなと思って頂きたい。

まず、どこのホールも眩しいぐらい床がピカピカなので、歩くだけで偉くなった気がする。ホールによっては赤い絨毯が敷かれていたりするので、そこの中央を歩けばさらに特別感が増す。まるで国王の謁見を直後に控えているようで、

「国王に突然呼び出されたRPGの主人公はこんな気持ちなのか」

と勝手に思いを馳せるのもまた一興であった。


これは今回のコンサート会場。これまた外の廊下がおしゃれで、マイクラで作りたくなった。

また、ロビーが広い吹き抜け構造になっているホールも多かった。それだけでも素敵なのに、きれいなステンドグラスから光が差し込んでいたりすると、もうそこは僕にとってはお城、具体的にはハイラル城かピーチ城である。

高そうなオブジェがそこかしこに置いてあるのも「城」感を増長させる。いきなり動き出して攻撃して来やしないか注意を要したいところだ。

らせん状の通路や空中通路といった、これまたダンジョンによくありそうなおしゃれ建築も相俟って、ホールを歩くだけで非日常を味わうことが出来た。例えがゲームやらダンジョンやら重なって申し訳ないが、ゲーム好き少年には最適な空間だったと言うことだ。

「お城」にテンションが上がっているところで、仲良い友達に出くわすのがいつものパターンであった。しょっちゅう会っている友人でも、普段と違う場所で会うとなぜか嬉しいものである。
同じく親同士も会えて嬉しいのか話に花が咲き、子供に注意が向かなくなる。そしたら子供同士で探検に出掛けるチャンス到来だ。

「開演までこの辺見てきて良い?」
「迷わないようにね!」

このやり取りは、つかの間の自由への切符である。

友達と二人、気になったところは徹底探索である。らせん状の通路を上まで登って景色を見るのも楽しかったし(ゲームなら飛び降りれるのにと思ったり)、バルコニーがあれば出て、入れそうな場所があれば入るのだ。そのうち開演前のブザーがなり、慌てて戻るのであった。

忍耐の時間

ここまで、いかにコンサートが非日常で楽しいものかを語ってきた。

いやいや、そもそもコンサート始まってないのに何いってんの、という話だが、実はコンサートで楽しいのはここまでであった。

というのも、出演者に対しては申し訳なかったが、そもそも好きでコンサートに来ている訳ではないため、演奏が始まっても集中力が持たない。

今となっては、「聞く態度」というものを分かっているので、例え興味がなくとも聞くフリぐらいはできる。しかし、幼稚園〜小学生くらいの子供のときはなかなかそうするのは難しかった。

そもそも、コンサートとはかなり特殊な空間であり、独特な「しきたり」のようなものがあるように思えてしまう。

それなりにまとまった時間(少なくとも1時間ほど)、ずーーっと同じ姿勢で前を向いていないといけない。かなり前の方に座っていない限り演奏者の指さばきは見えないので、見た目に変化がなく、どうしても飽きやすい。

同じようにずっと座って見るものといえば映画やお芝居が挙げられる。ただ、それらの場合はどんどん映像や場面が変わっていくので、好きかどうかは別として目で追っていく作業が必須であり、それが故に飽きにくい。ストーリーにハマってさえしまえばどんどん時間が経ってゆく。

更には映画の場合、飲食が許されているので、ジュースやらポップコーンやらを口に運ぶことでいくばくか気分転換になる。

例えコンサートであっても、運良くかなり前の方に座れれば、演奏者の指の動きや指揮者の振り方に注目するのも非常に興味深いだろう。ただ、それも自分が楽器をやっていたり、指揮の勉強をしていたりすればの話であり、元々興味がない人にとってはそこまで面白みがないかも知れない。

また、座席が狭いため、少し姿勢を変えるだけでもとなりの人に肩が触れたりしないか注意が必要だし、入口でこれまた大量に配られるチラシ類を落とさないよう細心の注意を払わないといけない。

実際に子供のときは、飽きて少し横を向けば前を向けと注意され、寝る分には迷惑はかかるまいと寝ようものなら即座に起きろと言われ、時間が経つのをひたすら待つ大変な時間であった記憶がある。生で音楽に集中する良さを理解できたのは今になっての話である。

ただ、周りを観察していると、意外と大人も寝ていることに気が付いた。やっぱり眠い人にとっては眠いもんなんだなと思った。

また、個人的に面白かったのは、曲が終わるたびに多くの人が一斉に咳をしだすことであった。演奏中に咳をすると演奏の音を邪魔してしまうからだろうが、色々と我慢することが多いなあと子供なりに思っていたのであった。

なんとか我慢しているうちに、休憩時間がやってくる。やっとロビーという名の城に出ることができる。

つかの間の自由な時間を過ごし、また後半の演奏に向けてホールへ戻っていくのであった。

コンサートを快適に過ごすために

以上、子供の頃のコンサートの思い出を語ってみた。

今回のコンサートでは、子供の頃と比べて演奏そのものを充分楽しむことができた。ホールによって音の響きが違うので、過去の記憶と照らし合わせて音の良し悪しを比べてみるのもまた面白い。

とはいえ、子供の頃感じたように、色々と不便を感じることが多いな、と思ったのも事実である。今後コンサートに行くときに忘れないよう、気をつけたほうが良いことをここに書き留めたい。もしよろしければ参考にしていただきたい。


(冬の場合)脱ぎ着しやすい、かつコンパクトになる上着を着て行くべし

これは特に冬に行われるコンサートの場合に当てはまるのだが、会場は思ったよりも暑いことがある。
外は当然寒いので厚着をするべきだろうが、中が暑いと調整が面倒である。
座席は狭いので、もし分厚いダウンを持ち込もうものなら、がさばってしまい持っているのが大変である。
クロークに預けられれば問題ないのだが、クロークが使えない可能性もある。
また、暑いと眠くなりやすく、演奏中に寝てしまう可能性が高くなる。

そのため、
・暖かいけど薄い上着を着ていく(ユニクロのウルトラライトダウンがいいかな)
・座席に座る前に上着はもちろん、セーターなど暑くなりそうな服は脱いでおく
のが良いと思った。

僕は今回分厚いダウンを着ていったが、クロークは営業しておらず、預けることができなかった。演奏中ずっと手に持っている羽目になったが、なかなか分厚いので手で押さえているのが大変であった。

また、セーターを着ていたので、演奏中めちゃくちゃ暑かった。脱ごうものにも狭くて身動きが取りづらく、無理やり脱ごうものなら、隣の人を肘鉄してしまいそうだったので暑いまま我慢したら、案の定眠くなってしまった。

次回はもっと演奏中の快適さを意識した服装をしていきたいものである。

大きめのカバンとクリアファイルを持っていく

コンサートあるあるだと思うが、会場入りした瞬間、プログラムと大量のチラシを渡される。

このチラシ、次回以降どんなコンサートに行こうか心躍らせることができる楽しいものなのだが、如何せん多いので持っているのが意外と大変なのだ。

普通にカバンに入れておけばいいと思うだろうが、コンサートにA4の紙が入るカバンを持っていかない人も多いだろう。そうなると持って帰るのも大変である。
また、大量に紙があると、チケットが紛れ込みやすいのも困る。休憩中に座席が分からなくなったとき、チケットが見つからないと焦るのだ。

また、何より演奏中にずっと紙類を手に持っていなければならないので、これがストレスだ。

よく演奏中に「パン!!バサバサ」と紙が落ちる音が聞こえるが、それはチラシ一式を派手にばらまいてしまった音である。
更にチラシはツルツルしているので、自分の足下に落ちるだけならまだしも、前方の座席の下にするっと潜り込んでしまうこともあるので、これまた面倒だ。

場合によっては前の座席のお客さんに取ってもらわないといけない。何より演奏中に落とすと気になってしまう。
考えすぎ、と思うかも知れないが、意外とモノが多いというのは楽しいコンサートを妨げてしまうと思う。

それを防ぐために、少しだけ大きめのカバンとクリアファイルを持っていくとよい。
大量のチラシをもらっても、まとめてファイルにささっと入れてしまえば上述のアクシデントは防げる。チケットは他のチラシに紛れないよう、一番上に入れておけば失くなることもないだろう。(僕はポケットとかに入れておくと後で場所が分からなくなるタイプ)

これは、今回、偶然カバンにクリアファイルが入っていたことで学べたことである。帰ってきてカバンの中でチラシがぐちゃぐちゃになってしまうこともなく、帰ってからチラシをゆっくり見ることができたので、おすすめだ。

終わりに

以上、コンサートへの思いを語ってしまったが、一回行っただけでかなり多くの思い出が蘇ってきて自分でも少し意外である。
ていうか、自分よっぽどゲームと電車が好きなんだなw

やはりコンサートは良い。出来れば今年はゲーム音楽のコンサートにたくさん行きたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?